月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

NaNaNaサマーガール

フリルのついた真っ白なビキニを着た彼女が、リビングでソワソワしている。ソファに座り、テレビのリモコンをとってスイッチを入れたかと思うとすぐに消し、手近にあったファッション雑誌を数ページだけめくって放り出し、少し歩きまわって床に落ちているゴミを拾い、またソファに戻る、そんな感じだ。

「まだ家なんだから、服着ろよ。風邪引くぜ?」と僕はキッチンでレタスをちぎりながら言う。傍らにはすでに、トマト、ハム、タマゴ、スモークサーモンが用意してあり、今朝パン屋さんで買ってきた食パンもカットしてある。

「だって超楽しみなんだもん!ユウくんと海行くなんて初めてだし。このビキニ、どう?似合う?」胸のフリルをひらひらさせて、昨日から4回目の質問をする。もちろんとても似合っているし、本当にかわいいと思うけど、何度もそんなことを言い合っているのはバカっぽくて好きじゃない。だから少しだけ、距離を置いた受け答えをする。

「それより、準備はもうできたのか?こっちはサンドイッチの具材挟んじゃえばほとんど出かけれるけど。日焼け止めとか、もう塗ったのか?」

しまった!と叫びながら、彼女が日焼け止めを取りにいくドタドタした音が聞こえる。嬉しそうな彼女はキュートだが、少しうるさくてめんどくさい。きっとこのあと、車に乗って最初の15分ぐらいは運転の妨げになるぐらいたくさんしゃべって、いつの間にかコテンと寝ているのだろう。

でも僕だって、今とても楽しい。僕の作ったサンドイッチを持って、僕の運転する車で、大好きな彼女と一緒に海に行く。彼女は、彼女を投影したような真っ白で愛らしいビキニを着ている。最高じゃないか。色の濃いサングラスをかけて、男友達3人で、誰でもいいからビキニの女性を見に海に出かけた3年前の自分に、今のリア充ぶりを見せてやりたい。

色の濃いサングラスなんて、もう必要ない。君だけを見ているから。きらめけ、僕のサマーガール。

ROLL

「Welcome to the Jungle」真紅の蝶ネクタイを締めたレオパードが言った。

「Welcome to the Jungle」続いて、前衛的なステッキを携えたアナコンダが言った。

「Welcome to the Jungle」最後に、遠慮がちなチンパンジーが両手をポケットに突っ込みながら言った。

「どこかズレている気がする」僕はそう思いながら、でもそれは見る角度の問題かもしれないと思い直し、代わりに「ここは火星ではないのかな」と尋ねた。前に立つ3匹、あるいは3人の誰でもいいから、とにかく答えてくれればそれでかった。

「I don't think so」すかさずレオパードが答えた。この3匹、あるいは3人の中では彼が主導権を握っているのかと思ったが、レオパードが答えた瞬間、他の2匹あるいは2人が恨めしそうに彼を見ていたので、必ずしもそういうわけではなさそうだった。答えた者順なのかもしれない。

「I don't think so」アナコンダが続いた。「I don't think so」最後にチンパンジー。チンパンジーはいつも遅れる。彼がこの3人(ということにしよう、便宜上)の中で主導権を握るのは、かなり難しいかもしれない。

「困ったな。僕はJAXAに勤めていて、3年後に始まる全日本火星開拓プロジェクトのヤマイモ栽培部門長なんだよ。プロジェクトにとりかかる前に、火星の土壌がヤマイモを育てるのに本当に適しているか、最終確認をしなくちゃならないのに」僕は日本語で、ゆっくりはっきり言い、大げさに困った顔を作って見せた。レオパードは、ポケットからスペアミントのガムを取り出し、まず僕に勧め(僕は断った。スペアミントのガムを噛むとおなかがユルくなるのだ)、それから自分でゆっくりとガムの包みを開けて口に含んだ。僕たちの間に、スペアミントの香りが広がる。

「若そうだね。30過ぎぐらいかな。いろいろあるのはわかるけどさ、自信持って、気楽にいきなよ」とレオパードは僕の肩をポンと叩いた。

少なくともここは火星ではない。

ネオメロドラマティック

こいつとずっと一緒にいよう。そう思った高1の春、はじめてケータイを手にした日。ドコモのおねえさんは、「何かございましたら、お気軽に当店にご来店くださいませ」とにっこり笑って、店を出るボクに一礼した。涼やかな風を思わせる青色にコーティングされたP-01Aはボクの手の中に収まり、少しよそよそしく、また未来に胸を高鳴らせているように見えた。

たしかにそれから、機種を変えることはあった。今やボクはスマホユーザーだ。そして、ボクの青春を支えた青色のP-01Aは、机の引き出しの奥に眠っている。だけど、変えるのは機種だけのはずだった。ボクのために笑顔を見せてくれた、いつかのドコモショップのおねえさんに誓って・・・。

 

「ただいま乗り換え割のキャンペーンを行なっておりまして、本日ご契約いただきますと、機種代が実質無料となります。いかがですか?」auのおねえさんは、オレンジを基調とした制服に身を包み、ボクに微笑みかける。ボクは「はい、おねがいします」と答える。ボクが契約内容を承諾したことにより、一気に忙しくなったauのおねえさんは、パソコンに何やらカタカタと打ち込み、液晶を確認し、クリックし、また何かカタカタと打ち込んでいる。ボクはそれをぼんやり眺めながら「終わったな」と思った。

仕方ないじゃないか。学生にとって、月々のケータイ使用料が500円安くなるかどうかは重要だ。高いほうから安いほうに移る。当然のことだ。

だけど、と思う。

ボクの、はじめてのおねえさんの泣いている顔が見える。「わたしじゃ足りないのね」と泣いている。いや、優しいおねえさんだから「いいのよ、気にしないで」と力なく笑うかもしれない。ボクはおねえさんの悲しむ顔を見たくない。「ちがうんだ」と言いたい。

だけど、何が「ちがう」のだろう。

結局、何もちがわない。ドコモのおねえさんとの関係を終えて、auのおねえさんと関係を始める。それだけだ。

黄昏ロマンス

タツノオトシゴ的見地から言わせてもらうと、太陽は沈んでいるのではなくて、地球の逆半球に昇っているだけだという考えは正しくない。それはすこぶるヒト的見地である。太陽は実際に沈む。黄金のオレンジに輝く太陽は数時間、地表面を照射してからゆっくりと海に沈み、我々の世界を照らし出す。

我々の世界、そこにはサンゴがおり、幾千種類の魚や貝がおり、岩肌には苔が張り付き、人魚が舞う。もちろんタツノオトシゴもいる。

たしかに人魚はめずらしい。我々のように、カップルの人魚を毎日のように目にする海域は、海広しといえど、なかなかあることではない。彼らをみると、少し気分が高まる。毎日のことであっても、彼らをみると、明日も頑張ってみようかなという気分になるのが不思議だ。

彼女のほうは目鼻立ちが全体的に鋭く、初対面には気の強そうな印象を与えがちな美人だ。しかしその実、共感と慈愛に満ちた非常に優しい心を持っている。彼は、彼女のそんなところが好きなのだろうと思う。

一方彼は、際立った器量の持ち主というわけではない。フサフサした髪の毛の右側のもみあげが、よくクルリと巻いているのがチャームポイントだ。彼も包容力にあふれ、我々他の生き物に対してとても優しい。そして謙虚だ。ふたりはお似合いだと思う。

日が沈む時刻になるとふたりは、揃って夕日を見に出かける。太陽が海面に顔をつける瞬間、光は激しく乱反射を起こし、そこで何かが炸裂したかのような感覚に陥る。ふたりはその光景を、身じろぎもせず、ただ見ているのだ。手を合わせ、尾びれを重ね、強烈な太陽の光に照らされたふたりの人魚が同じ方向をじっと見つめている姿は、幻想めいて見える。

太陽が海中に沈みきり、我々がその心地よい明るさを享受するころ、ふたりは何か話しながらゆっくり戻ってくる。何を話しているかは知らない。時々、彼女の頬が紅く染まっていることがあるから、それが答えなのかもしれない。

シスター

俺が最後のキッカーだ。4―4となったPK戦、5人目の俺が決めて、県大会優勝を決める。思い出せ、真夏の合宿を。山道を走り、日が沈みボールが見えなくなるまで蹴り続けた日々。変わらぬ24人で、ともに飯を食い、意見をたがわせ、スタメンを争い、恋を打ち明け、夢を語った日々を。俺の後ろに、それはある。一歩、二歩、三歩と、助走をとる。これは、俺とボールとの距離。そして、歓喜と俺たちとの距離。背中にはチームメイトの声援を感じる。ゆっくりと目を閉じて、それから開ける。ゴールキーパーのほうは見ない。その代わり、その後ろに広がる空を見る。きれいな青空だ。深緑と紅葉の狭間に、空はこれほど晴れ渡る。主審が手を挙げ、笛を鳴らす。もう一度目を閉じると、ノブが相手のキックをはじき返した、劇的な1分前の光景が浮かび上がってきた。俺たちは勝てるぜ。そして目を開け、一気にボールに走りこむ。蹴りこむコースは、とっくに決まっている。

 

誠二が、ゆっくりとボールを置く。5人目のキッカー。誠二が決めれば、こっちの勝ち。わたしは今、とても怖い。誠二のかっこいい姿、目に焼き付けたい。わたしは誠二を信じてる。だけど、0%ではない可能性が、わたしを強く怯えさせる。「自信がないのは、練習が足りないからだよ」。そう言った誠二の声と顔を鮮やかに思い出す。「わたしが元気じゃないのは、デートが足りないからだよ」。そう言ってやりたかったけど、誰よりも頑張っている誠二のために言わないでおいた。一歩、二歩、三歩と、助走をとる。誠二は今、何を見て、何を考えているんだろう。わたしのことなんて、考えもしないんだろうな。それでもいい。サッカーをしているときの誠二は特別だから。わたしは、ゆっくりと目を閉じ、そして祈る。祈るとき、どうして人は手を組むのだろう。右手はわたし、左手は誠二。30m先に、祈りよ届け。笛が鳴り、一瞬の後、誠二はボールに走りこむ。

ラック

今日は、ユミちゃんが学校をおやすみしている。隣にユミちゃんのいない学校は、家に帰ってから「手洗い・うがい」をせずに食べたおやつみたいな感じがする。

4月から、4年生になってもユミちゃんと同じクラスになれて、ぼくはとってもうれしかった。名字がぜんぜんちがうから、学校が始まってすぐのときにはユミちゃんと近くの席になれないけど、席がえをするようになればチャンスが出てくる。最初の席がえはぜんぜんダメで、次の席がえのときは同じ班になって、そしてついにとなりどうしになった。

「うわー、稲本ととなりかよー、さいあくじゃーん」

「ユミだって、守下くんのとなりとかイヤだしー」

そうそう、おぼえてるおぼえてる。ちょうどその日、ぼくは理科の教科書を持ってくるのをわすれて、ユミちゃんに見せてもらったんだ。7月になってもユミちゃんの教科書はきれいだった。家に帰って見てみたら、ぼくの教科書は「せ表紙」がグチャってなってたり、よくわからないえん筆の書きこみがしてあったりするのに。

給食のときは机をくっつけるから、少しだけドキドキする。ユミちゃんは牛にゅうのアレルギーがあるから、給食のときに牛にゅうを飲まない。ぼくはユミちゃんが飲まないぶんの牛にゅうをもらって飲んでいる。そのかわり、ぼくはパイナップルがきらいだから、もしデザートにパイナップルが出たら、ユミちゃんにあげる。

今日の給食はおいしかったな。給食のからあげは、家のやつとはちょっとちがうけどおいしい。ユミちゃんも来ればよかったのに。慎之介なんて、ごはんを3回もおかわりしてすっごくおもしろかった。

ぼくの家とユミちゃんの家は地区がちがうから、プリントを届けにいったり、授業について教えてあげたりできない。ユミちゃんと通学班が同じ良太郎になりたい。

ユミちゃんととなりになれたのはラッキーだけど、7月はすぐに終わっちゃうから、ちょっとざんねんだ。

愛が呼ぶほうへ

風はいい。風は自由だ。いつでも、どこにでも行ける。パスポートもいらない。そもそも、風であることに国境はない。好きなとき、好きな場所で吹く。ひとつ誤解を解いておきたいのだけど、風が冷たいとか熱いとか、あれは気温のせいであって、風のせいじゃない。

風の始まりを、君は知らない。自分でもわからないのに。気がついたら吹いていた。はじめは・・・そうだ。どこか海にいた。広い広い海だ。海鳥が海面すれすれを滑空し、群青の水面をのぞけば、銀色のひれを太陽に反射させた魚の群れが泳いでいる、そんなところ。同じような風景を繰り返しながら吹き続け、ついに陸地を目にした。

小さな島だった。木で組まれたボートに乗り、モリで魚をつく男たち。女は煮炊きをし、子どもたちはそれを手伝うか、砂浜に座って歌をうたっていた。その傍らで老人が、草笛で伴奏している。人生を思わせる、簡単で哀愁の漂う音色。島を巡って、次の場所へ向かう。

それからいろいろなところへ行った。低いところから、高いところから、砂漠に隊列を組むキャラバン、石造りの尖塔から漏れ聞こえる悲しみのレクイエム、打ち込まれる砲弾と悲鳴、そして歓声。灼熱の太陽の下で焼き払われるジャングルも、橙の葉に染まる数千里の城壁も、ペンギンが群れを成す氷の大地も、 みんな見た。

そして降り立つ、桜色の町。青い空と、あたたかな日差し。

町を見下ろす高台に、一台のベンチ。ここからの景色はいい。そのベンチには、ふたりの男女が座っている。町を見下ろして何か話している。たぶん手をつないでいるんじゃないかな。どんな人たちなのか、気にはなるけれど、近づいたり回り込んだり、そういうことはしない。それが風の掟。その代わり、どうしたらいいのか、ちゃんと知っている。

一瞬の沈黙。

顔を向け合ったふたりの距離は近づく。

今だ。

桜の花びらが宙に舞う。その中に、ふたりの姿は見えなくなった。