月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

ワン・ウーマン・ショー ~甘い幻~

ガットギターをかき鳴らし、髪を振り乱す彼を見つめていた。ドレスの裾から伸びる脚と、まっすぐに伸ばした腕は、誰に向けていたのだろう。みんなは、彼と私を待ちわびてくれる。私たちの演奏のために、ここに足を運んでくれる。

彼が奏で、私が踊る。それだけでよかったのに。

東京のスペインバルでフラメンコダンサーとして生計を立てられるようになって、三年が過ぎようとしていた。いくつかのバルを転々とし、あるいは何人かのギター奏者と共に作品を作り上げ、私は少しずつ自分の可能性が閉じていくのを感じていた。それは自分自身のせいかもしれないし、東京のせいだったかもしれない。でも私は、その原因をギターの音色に求めた。

私のダンスパフォーマンスは、ギターによって大きく左右される。誰と組んでもプロとしての踊りのクオリティを保ちながら、しかし他を圧倒するような、私以外のフラメンコダンサーを認めさせなくするような踊りを披露するとき必ず私は、ギターの音色と、その曲の持つ世界観と、自分自身のその世界への奇妙なシンクロを体感している。しかし、それを味わうことはめったにない。
ただプロとして踊り続けることに、私は疲弊していった。そしてそれは、私のフラメンコに対する快楽の消滅を意味していた。

快楽無き踊り。

彼に出会ったのは、そんなときだった。

最初の一音で、私は何かが分かった。そのときにはもう、私は音楽に身を委ねていた。彼の奏でる音。それは私を操り、どこかへ導いた。私はこれまで体験したことのない快楽と、このまま踊り続けた先の破滅を心の深くで感じ取り、演奏後に混乱して泣いた。

逃れられない快楽と、その先の破滅。

夕闇は、ギターに落ちる彼の影を色濃くする。私はくるりと回り、ドレスの香りを彼に向けて飛ばす。

勘違いしていたのは私だったのだろう。分かっているはずなのに。

彼が奏で、私が踊る。それだけでよかったのに。

俺たちのセレブレーション

「レオナルドに感謝だよ」と呟いた。ぼくの呟きは、草の根に吸い込まれていく。河川敷の芝生に座るぼくの目の前では、数世代前のテレビドラマに出てくるような大きくて赤い夕陽が、川面をキラキラと照らしていた。

「ダ・ヴィンチのことをレオナルドって呼ぶのはお前ぐらいだよ」と、ぼくは心の中で呟いた。心で呟いたぼくの言葉は、誰にも届かずに心の中に在り続ける。心の中に収まりつづける感情や言葉を、ぼくは愛おしいものだと信じていたのに、「思っているだけじゃ伝わらないのよ」と言って泣いたガールフレンドの言葉は、ぼくの心を今でも濡らす。

メガネをかけて河川敷に来たのは、その風景が一番ぼくの視界のクリアさを証明してくれるのではないかと思ったからだ。晴れた日の河川敷には、青い空があり、緑の芝生があり、透明な黒に染まり流れる川があり、Tシャツを着た少年少女や制服を着た学生や犬の散歩をさせる大人たちがいる。進行する近視に気付かぬまま眺めていたこの景色に、メガネをかけたぼくはどれだけの感動を持って違いを感じるだろうかと思った。

 

「この世界には、君の知らない美しいものがまだまだたくさんあるんだよ」と夕陽が笑っていた。「この世界は、君の想像以上に広いんだぜ」と空は誇らしげだった。「君の未来は、ここからなんだよ」と草花がぼくを励ましてくれた。走り回る子どもたちも、ポケットに手を突っ込んだ思春期たちも、行き交い、時に挨拶を交わす近所の人たちも、みんなぼくが知っている以上に優しい顔立ちをしていた。穏やかで親切で、彼らと彼らが生きるこの世界に、悪意なんて欠片も存在しないんじゃないかと感じられた。

メガネを外してみると目の前には、見慣れたはずの景色があった。しかしそれは、すでに色褪せて見える。メガネをかけた自分の姿にもまだ慣れないが、これもすぐに慣れるのだろう。

新しい風景と新たな一歩。夕陽の中でぼくは、世界に祝福されていた。

東京デスティニー

田舎者に限って、覚えたての地名や道の名前をやたらと口に出したがる。いま目の前に座っている男もそうだ。口説きたい女なのか、惚れさせたい女なのか、こんな得体の知れないバーにやって来て、得意げに何かを話している。女を連れて行くなら、もっと気の利いた場所もあるだろうに、そんなところに、住み慣れない土地で必死に生きようとする男の哀しみを感じる。

彼女は、カウンター越しに客の様子を伺いつつ、拭いていたグラスを静かに棚に置いた。やたらとしゃべる客を、彼女はあまり好きではない。追い出しもしないし咎めもしないが、彼女の中には明らかに、そんな客に対する嫌悪の感情が生まれている。彼女にとって、客がどんな酒を飲むかは重要ではない。強いアルコールを嗜もうが下戸だろうが、その客が何かに導かれ、何かを求めてこの場所を訪ねてくれるのなら、それ以上何を求める必要があろうか。彼女が落としていってほしいのは金ではない、心だ。わだかまりを解きほぐしていきたい者にも、行き場のないストレスに苛まれた者にも、高まった感情を抑えられない者にも、そこには他者の関知できない品格がある。崩壊したプライドも、切り裂かれた自尊心も、二度と味わうことのない陶酔も、この東京でしか生まれない全ての感情が混ざり合い、この店が成り立っている。この巨大都市の圧倒的な強さは、完全なまでの混沌にあるのだ。

だからこそ、余分なおしゃべりはこの場にはそぐわない不純物となる。この店は、客たちが残していく感情のしこりや綻びの上で回っている。しかし、彼のような駄弁はこの場に何も残さない。むしろ、何かを強引に奪っていく。彼女とその客がひっそりと味わい、守り続けているものを壊していく。その感覚が、彼女の癇に障るのだ。

それでもこの店は回り続ける。ひとりの男が奪っていったものなど、即座に新たな懊悩によって満たされる。

この街のエネルギーは、尽きることを知らない。

青春花道

卒業式の朝は、いつもより静かだ。節目というよそよそしさが、わたしをそうさせるのか。朝のニュースのアナウンサーは普段より小声でしゃべり、大通りを走り抜ける通勤の車も少しだけ速度を落としているようだ。青の絵の具が足りなくなって懸命に水で引き伸ばしたみたいな空の色は、冬の名残と春の気配の両方を感じさせる。

父はいつものように「気をつけてな」とだけ言って仕事へ向かった。母はいつもよりも鏡台に座っている時間が長い。わたしは・・・どうだろう。

通いなれた通学路も今日で最後か、と意識しないと、続いてきた日常はあまりにも永遠に近すぎて、まるで実感が湧かない。算数のことを数学と呼ぶようになった日のような、男の子を前に今まで感じたことのなかった胸騒ぎに気づいたときのような、昨日と今日の明確な線引きは、この頼りないよそよそしさだけなのだろうか。

空白の掲示板、空っぽの机にロッカー。黒板をびっしりと埋め尽くした下級生からのイラストやメッセージは、教室という箱の空虚さを際立たせた。このクラスでの思い出は、取り除かれた荷物やチョークの粉とともに、どこかに消え去ったようだ。クラスメートのおはようという笑顔も、少しぎこちなく見える。

体育館に鳴り響く吹奏楽の演奏、パイプ椅子の軋む音と予定調和的な拍手。起立も礼も、誰かの挨拶も、圧倒的な静けさの中で粛々と行われていった。市内のいたるところでこんな様子なのだろう。今がチャンスとばかりに、アナウンサーは声を張り上げ、車は制限速度30キロオーバーで飛ばしているに違いない。

第2ボタンをプレゼントする男の子がいたり、卒業アルバムにメッセージを書いたり、写真を撮ったり、すべてが台本どおりに進み、わたしの高校生活が終幕を迎えようとしたとき、この終わりにふさわしい整頓された静謐さが、昨年の祖母の葬式を覆う空気と同じだということに気がついた。

そこには終わりへの、諦めと安堵があった。

瞬く星の下で

いくらかの視界を残すための隙間以外、身体の全てを金属で覆った兜を外すと、そこには幼い頃と変わらない碧い瞳があった。幾日と続く戦場をくぐり抜けてきた彼の頬は、土埃ですすけている。右手に携えた槍の先端は、先の戦場で半分折れた。

「ふー」と、彼は連戦の疲れを隠さず言った。砦の門の先には荒野が広がる。その風景には、同情も憐憫もない。彼の疲れを癒してくれるのは、同じ騎士団に所属する者とのおしゃべりしかないようだ。中でも彼は、同郷で幼馴染のナイトとの束の間の雑談に楽しみを見出していた。異教徒殲滅の旅路は、長く険しい。

「今日はどこまで進んだんだ?」と幼馴染が言う。腕っぷしの強さをそのまま反映させたような彼の声にも、今日は疲労が滲んでいた。
「サヴィエンナらしい。さっき誰かが言ってたよ」どこからか野犬の遠吠えが聞こえる。この辺りのある不運な騎士は、野犬の群れに遭遇し命を落としたという。戦場でいくら武勲を立てても、犬に噛み殺されればそれでおしまい。儚いものだと、彼は思う。

彼の死に様に理想はない。騎士として生き、騎士として死ぬ。それだけだ。ただ、死ぬ前にもう一度家族に会いたい。月さえも姿を消したこの荒野に飽きもせず瞬き続ける星々を辿れば、どんな形が見えてくるのだろう。それは、愛する妻と子どものもとへ自分を連れて行ってくれるだろうか。

遠吠えをも飲み込んだこの場所を支配しているのは、暗闇と静寂だ。支配された生と死は、黙ったまま審判を待っている。幼馴染が脱ぎ捨て、手入れを始めた鎧の金属音がやけに響く。

さっき見た瀕死の異教徒。地に伏せ、喘ぎながら何かつぶやき、手でしるしのようなものを形作った。もしかしたら家族の名前だったかもしれない。最期の願いも叶わず、そのまま死んでいった。

彼自身の未来はどうだろうか。

誰にも語られず、星にもならず、ただ存在するところに死の凄みがあると、彼はそのとき思った。

カゲボウシ

「青春」ということばに、わたしは男の子を感じる。周りの友だちからは「なんで?」と言われた。青春に男も女もないでしょ、と。たしかにそうなんだけど、わたしはそのことばに、年頃の男の子が鏡の前でヘアワックスの使い方を練習したり、放課後に声を枯らして走り続けたり、性欲と現実の狭間で悶々として眠れなかったりする(であろう)姿を感じる。

もちろんわたしも十年ほど前に、ちょうどその時期を謳歌していたし、当然その尊さに気がついたのは、当時ではなくて今だったのだ。わたしが自分自身の青春を知ったのは今で、当時はやっぱり同年代の男の子の青春を感じていた。どうしてだろう、クラスの男の子たちを見て「青春しているな」と感じていた。

それは、好きだった男の子と付き合うことになって、デートしていたときもそうだった。彼がメールで告白してくれたときも、少し汗ばんだ左手で私の手を握ってくれたときも、わたしから「ゴメンね」と伝えたときも、わたしの心の80%はその場にあって、残りの20%はどこか他の場所から相手の男の子を見て「これも青春の1ページになるんだな」と観察していた。斜に構えていたわけではない。でも芯の部分がどこか冷たくて、あの日ふたりで嘘のように大きな夕陽を見て、彼が無言でわたしを抱きしめたとき、わたしはわたしたちの隣に宿る影を見て、ドラマみたいだと思った。

わたしたちの影は、ひとつに重なっていた。わたしが重ねたかったのは影だけじゃないのに、きっとそれは彼も同じなのに、でもわたしはどこかで諦めていた。彼にその勇気はない。それも青春。そう思っていた。

年齢を重ねることは、後悔を重ねることだと聞いたことがある。そうなのだろうか。わたしは彼を思い出すとき、その影を思い出す。その輪郭。詰め襟と立ち上がった髪の毛と、ダラリと垂れた靴ひも。わたしの青春に後悔があるとするならば、もう彼の顔を思い出せないことなのだろう。

2012Spark

曇天のサーキットに、甲高いエンジン音がこだまする。一台、また一台。彼の乗ったマシンは、まだ現れない。それは彼にとって望ましいことではない。順位をひとつでも上げてゴールすること、それがチームにおいてのドライバーの役割だ。ほとんどそれだけと言ってもいい。

しかし、サーキット上を祈るように見つめる彼女にとって、彼がいつ現れるかは重要ではなかった。彼が現れること、また無事にコースを走り抜けていくことだけが重要だった。

そして現れた。ホームストレートに現れたのは、カーナンバー38、今日プロデビューを果たした彼のマシン。前周と比べて、オレンジにカラーリングされたそのマシンは、順位を落としたわけではない。ただ、前方グループとの差は徐々に開いており、残ラップ3となった今、これ以上順位を上げることは難しいだろう。ここから先、順位を守ることが彼の役目となる。たった3周、5分にも満たない時間は、それでも決して短くない。普通ではない音を響かせ走り抜けるマシンのエンジン音は、限界を超えた速度で走り続ける人間の悲鳴にも聞こえる。

「ギリギリの勝負って感じがいいんだ」彼はそう言っていた。速い人間が天下をとる。そんな単純な図式が、彼には魅力的に映ったのだろう。

彼は第1コーナーを曲がり、消えていった。後続のマシンも、次々と彼のもとへ襲い掛かる。順位を、文字通り死守せねばならない彼と、ひとつでも順位を上げるために食らいついていく他チームのマシン。彼女の願いは、勝負の結果とは関係がなかった。

再び戻ってくるマシン。後続のマシンは、いよいよ迫ってきた。

最終ラップに入る。後続車両を引き連れて、彼が第1コーナーに差し掛かった瞬間だった。

彼女は声にならない声をあげる。三台のマシンが火花を散らしていた。そのまま三台は、コーナー壁に突っ込んだ。彼女の瞳が映したものを、彼女の脳内では解釈できない。

彼女は立ち上がり、何かを叫んだ。