月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その0(心意気)

一人旅をしていると、全てが風景になる。

有名な建造物も、世界的な絵画も、想像を凌駕する自然も、風景だ。

あるいは、私以外にそこを訪れている人間も、その一部であることから逃れられない。

 

全てが風景であることは、当然のことではない。

恋人と旅行をすれば、家族や友人と世界遺産を訪れれば、その場所は背景になりがちだからだ。

背景は背景であるから、どんなに美しい景色もその色にくすみが出てしまうことは避けられない。

 

さらに、写真撮影。撮らないと損だとでもいうように、カメラに釘付けになったまま歩き回る人をよく見かける。

写真を撮ることが悪いことだとは思わない。誰かが撮ってくれた写真のおかげで鮮やかに思い出がよみがえってきた経験は山ほどあるし、私自身も写真を撮る。

 

しかし一方で、どうあがいてもカメラにこの風景は収められない、という思いがいつも最終的に私を支配する。この空の色、この喧騒、匂い、風。全てが合わさってこそのこの風景は、カメラのレンズを通してはどうしてもくすんでしまう。

だから私は、写真撮影をする代わりによーく景色を見ることにした。そしてそのときの感情や考えたこと、思ったことをよーく覚えておくことにした。

 

繰り返すが、写真を撮ることは絶対に悪いことではない。良いことだとも思わないが。それは価値観の問題だから。何を大切にしたいかであろう。

私が大事にしたいのは、その景色を見たときに何を思ったか、そこを歩いたときに何を思い出したか、それを食べたときに何を感じたか、外国人の親切・不親切に接して何を考えたかなのだ。

 

いつもよりも空が高く青く見える。

いつもよりも優しさが心に沁みる。

いつもよりもいつものありがたみを知る。

そんなことでかまわない。

 

ともすれば、写真を撮ってSNSにアップする、それだけになってしまいがちな外国旅行の裏に隠れている、もっと刺激的な部分を感じてもらえたらと思うのだ。

そこには、普段感じることのない様々な感情の機微があり、思考の渦があるはずだ。

「友だちが撮った写真があるから、旅行サイトが細かく解説してくれているから行った気になるし、それでいい」なんてつまらない考えが無くなればと願い、外国に行ってみたいけど少し怖いと感じている人の緊張を少しでもほぐすことができればと望んでいる。

 

それが、私が写真のない旅行記を書く理由である。もちろん他にもあるが、目下のところそれだけ知っていてもらえれば。

 

少し硬い始まり方だが、本編が始まるとこの思いをどれだけ汲んでもらえるかと不安になるほどくだらない些細な出来事の連続なので書いたまでである。

まったく肩肘を張らずに、気楽に読んでいただきたい。

 

初めのほうは探り探りの感が漂う文章だが段々ノッてくるので、やっぱりとにかく肩肘を張らずに読んでいっていただきたい。