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月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その1-1(大阪、ヘルシンキ、プラハ)

 全体重乗せるつもりでドアに体をぶつけながらでないとカギがうまく開かず、テレビは本体のボタンを使わないとリモコンの電池が切れているためスイッチのオン・オフやチャンネル変更ができず、カーテンはないわけではないが微妙に寸足らずで(一流スナイパーなら容易に私を窓越しに捕捉し仕留めるだろう)、石けんは中学校を思い出すアルボース液みたいな緑色の液体で、水道はドゥワッと出るか全く出ないかの二者択一方式で、まぁ当然ティッシュはなく、しかしトイレットペーパーはちゃんとした質のものがあり、エレベーターはドアの開閉の勢いが尋常でなく鋭く(ちょっとでも出入りに遅れたものは殺せとばかりに閉まる)、とにかくそれが私の初海外旅行の初めての滞在ホテルであり、海外とは、の印象であった。聞いてはいたが、有るものよりも無いもののほうが多い。もちろん、日本と比べる私が悪いし、それは勘定の仕方の問題でもある。減点法で恋愛をすると失敗するというのが定説のようだが、まあそんなところだろう。

 とにかく、薄暗く古びた洋館を少しオートメーション化しましたみたいなホテルでひとりベッドに横になり、ここに来るまでを思い返していた。

 

 大学生になって初めての春休みを目前に、初めての海外旅行先として、明らかに卒業旅行の、特に女子学生たちに宛てた「中欧4カ国5都市」のツアーを選び、19歳(なりたて)男子学生1名で申し込み、出発の一週間ぐらい前からヨドバシカメラで変圧器など電化製品類を少しと、100均ショップでその他の細々した物を買い揃えた。

ちなみにパスポートは高3の夏に作ってあった。不要な手間だったと、今なら胸を張って言える。

 ともあれ、初めて関西国際空港という国際空港からフィンランド航空を利用してヘルシンキ経由、チェコのプラハへと向かった。2013年2月26日のことだ。

初めての国際空港、広くてきれいだなと感じた。整然としているとも言い換えられる。整っているがあまりのある種の冷たさのせいで出国審査の人たちもあんなに愛想がないのだと信じよう。

 飛行機の添乗員さんはやはりフィンランド人っぽく(少なくとも北欧人のはず・・・)、初めての海外旅行、海外航空社利用の私としてはそんなことにいちいち感動していた。

 また、機内の案内はフィンランド語、スウェーデン語、英語の3ヶ国語で話された。なぜそんなことがわかったかというと、私の全くわからない言語が聞こえたときには、「あぁ、なんだこの言葉は。そうか、フィンランド語か。フィンランド航空だものな」と思ったからであり、少しわかる言葉が聞こえたときには「お、期待していたがやはり話したか。ふふふ、スウェーデン語だ」と思ったからであり(私は大学でスウェーデンのことを専攻している。フィンランドは歴史的背景から首都ヘルシンキを中心にスウェーデン語を解する人も多く、スウェーデン語はフィンランドの第二言語である。フィンランドの有名人たるムーミンも、フィンランド人トーベ・ヤンソンがスウェーデン語で書いた。あぁ、カッコ内が長くなってしまってスミマセン)、英語が英語とわかったのはそれが明らかに英語だと思ったからである。

 そして私は、副操縦士が女性であることに驚き、なんかさわやかないい匂いのするおしぼりを渡されたことに驚き、ビールやワインも無料でもらえることに驚き、機内食がおいしいことにも驚いていた。新鮮なことばかりでそれはそれは幸せな野郎、ハッピーフライト万歳である。

 途中で昼寝もしていたが実際どのぐらい寝ていたのかわからない。腕時計はうっとうしくてはずしてしまったし、そもそも太陽の動きに逆らって西へ西へと進んでいるから時間の経過がわかりにくい。

 映画を観たり音楽を聴いたりウトウトしたりして、しんどさが「なかなか」のレベルになった頃、到着まであと二時間だというアナウンスが流れた。軽食に釜飯とキットカットが出たりして、至れり尽くせりだと思ったものだ。殿様の私は悠々とトイレに馳せ参じ、用を足した後に流すスイッチを押した。

ん、何も反応が無いぞ、故障かな、と思ったその刹那、ズバンっという鋭い轟音と共に私の尿が消えていった。殿様の鼓動マックスである。音は大きいし、不意打ちだし。水が流れないことは知っていたがこれほどに、なんというかダイナミックなシステムだとは・・・。

 眠気の吹き飛んだ殿様はいつの間にかちょんまげも失い、一般客として映画を一本観てヘルシンキへと着陸した。墜ちなくてよかったと嬉しかった。

 

 ヘルシンキ空港の滑走路にはうっすらと雪が積もっていた。

 チェコに行くための経由地としてのフィンランド、ヘルシンキが、私が初めて踏む異国の土地となった。先にも述べたが、大学でその隣国スウェーデンを専攻している者としては少しうれしい偶然だった。

 マリメッコにムーミン。空港内の店舗はフィンランド色を押し出していたが、国際空港がそういうものなのか関西空港もそうであったように、ここも空間としては天井が高く、スッキリ広々としていた。ただ、標識や看板の色彩が日本よりも豊かだなという印象を持った。

 面積としてはそれほど大きくもないからいろいろ歩いた。店にも入った。売っているサンドイッチは大きく、パッと見小ぶりなものでも中にサワークリームやらチーズやらをドカッと挟んでいるのでカロリーもドカッと、ボリューミーなものである。

 売店で水を買ってしばらく歩いて、一人用のテーブル・いすセットがあったのでそこに座り、さぁそれでは水を飲もうと思ってふたを開けたら水が噴き出した。炭酸水である。ビックリした。テーブルはややビチャビチャである。通り行く人の視線を(なかったのかもしれないがあった気がしていた、初めての海外旅行は何かと過敏なのです・・・)感じつつカバンに入れておいたタオルで拭いた。

 余談だがカバンに一枚タオルを入れておくと非常に便利だと思う。ハンカチサイズではなく、タオルサイズのタオルだ。

水の容器を見ると、穏やかだったはずの水面は次回の噴出を今か今かと期待している気泡でフツフツとしていた。これから持ち運びには気をつけねばならない。そう思って、また、旅先でちょっとしたハプニングにも遭っていいネタ(その後何度か起こるもっと冷や汗ものの経験に比べればこんなもの、自分の部屋の机の角で足の小指をぶつけたレベルの瑣末なものであった)ができたと一人でニヤニヤしていた。

 ちなみに、日本では炭酸水は普通の水の控え的な扱いだが、海外旅行を経験してわりとすぐにわかることとして、お水コーナーには普通の水と同じか、あるいはそれ以上に炭酸水が売られているということだ。

 トイレに行くと小便器の位置が高くて、用が足せないんじゃないかと一瞬怖かった。身長174センチで特に短足でもない私がこれでは、身長165センチぐらいを目処に、それ以下の諸君はトイレで全滅ではないか。なんというか、あまり詳しくは言わないが、手順としては、尿意→駆け込み→便器→絶望→滅亡である。

 ここまでだけで少し長くなってしまったが、それほどに初めての長いフライトでの疲れにもかかわらずウキウキで新鮮と発見の連続で、いろいろと伝えたいことが溢れていたということを感じていただければ嬉しい。

 

 まだチェコには着いていない。これから1時間程度かけてプラハ空港へと向かうのだ。機内でチキンカレーサラダというのを出してもらった。パサパサで、味はまずまずといったところであったが、何せ日本時間ではすでに夜中の0時1時に食事をしているのだからなんだか食事にも少し体力が要った。

 プラハに着いたときには辺りは暗く、滑走路も暗いもんだから「なんだ、真っ暗なところだな」と感じたが、施設内はきちんと明かりが灯っていて安心した。とはいえ、空港内にいる客はほとんどおらず(さっき機内にいた人たちは・・・?)、閑散としていた。荷物が出てくるのにずいぶんと時間がかかっていた。

 周りの同ツアー客たちはそれぞれの仲間同士でしゃべったりしていたが私はひとりで施設を見渡し、それも終わってしまうと、親がわざわざ送ってくれた『地球の歩き方』でチェコ語の簡単なあいさつを復習した。

発音のレッスンをしてもらおうと、ポツンとひとり立っていた警備員のおじさんに本を携え聞きに行ってみた。近くに行くと、彼はおじさんというよりもおじいちゃんといったほうが正しそうに思えたが、とにかく「これはチェコ語のありがとう、で合ってますか?」と聞くと、胸ポケットから何かを取り出そうとした。「え、警戒された?なんか他の警備員とか呼ばれる?」と思っているとただの老眼鏡だった。ひとりでがんばる優しいおじいさんであった。

 そうして荷物を取って、外で待ってくれているホテルへのバスに乗り込む。外気に触れていたのはものの数分だったが、それでも大阪では感じなかった空気の冷たさをコート越しに感じた。道端には雪も積もっていた。

 

 最初の一日は時差の影響で、そんな風に長い一日だった。そしてホテルに着いて、部屋のドアを開けるのにえらい苦労するのである。