月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その1-2(プラハ)

 その日はぐっすりと眠り、次の日は6時ごろに起きた。私はもともと朝の支度に時間がかかる。何に時間がかかっているかは自分でもいまひとつわかっていないが、とにかくそうなのだ。それに、朝のバイキングに早く行っておきたいというのもあった。海外初めての朝食はゆっくりと楽しみたい。

 その甲斐あって一番乗りで席に着き、あたりを見渡してみる。どうやらなかなかメニューは豊富である。ジュース、チーズ、バター、卵、ハム、ソーセージ、それにパン。野菜類はなく、りんごやイチジクのようなものならあった。ちなみにジュースは(タイミングの問題かもしれないが)薄いというより、もはや水だった。

 パンはいくつか種類があって、その中でも少し干しぶどうが入っていてサラサラの砂糖がバーッとかかったものが美味しかった。生地もヨーロッパのパンにはめずらしくしっとりしている。メインとしても、デザート感覚でも食べられそうだ。あんまり食べるとカロリー過多だと思ってなるべく抑えようとしたが、それでもたくさん食べてしまった。だから日本人は海外に行くとたいてい太って帰ってくるのだ。

他にも素朴な味のパンを気に入り、相席になった(おそらく)チェコ人二人組にそのパンの名前を聞いてみたが彼らは英語を解せず、代わりに「バターを載せるんだよ」とその場まで連れてって教えてくれた。質問したとき二人は少し困った顔していたなぁ。ごめんね。英語はわかりません、さえ言えないのかもしれない。それで不便しないならそれでいいよね。

 8時半ごろ、少しホテルの外に出てみた。どうやら辺りは団地のようだ、バスケットゴールが雪の中を文句も言わず一人で立っていた。チェコは日本より少し寒いようだ。

 

 9時。まずツアー客みんなでバスへと乗り込んだ。昼まではガイドさんと一緒に行動してそれからは自由行動、各自で再びホテルまで帰ってくるのだ。

 いざバスが出発して徐々に街中へと入っていくと、車窓から見える道端の看板の一つ一つが大きく感じた。というか、そもそも日本の道にはあまり看板がないことにそのとき気づいた。ビルにかかっていたり、電光掲示してあったりはするけど、道から生えているタイプの看板はあまり見かけない。路上駐車がとても多く、この国の主流メーカーはフォルクスワーゲン、アウディ、プジョー、それに恐らくチェコのメーカーSKODAである(後で調べると、シュコダと読むチェコのメーカーだった)。

 20分程度走ったところでバスを降りた。まずはカレル橋。ここを渡って旧市街に入る。正直なところ、この超名所を私は知らなかった。ただ、世間一般の人々は知っていたらしく、多くの観光客でにぎわっていた。下を流れるモルダウ川は何とも雄雄しい感じがした。

カレル橋の上に点々と置いてあるさまざまな像、マリア様がいたり日本で有名なフランシスコ・ザビエルがいたりもした。どれほどの偉人も歴史も我関せずとばかりに鳩たちはマリア様の肩に止まり、ザビエルの頭を踏んでいった。たくましい限りだ。

 旧市街地にはお土産屋さんがたくさんあり、なかでも美しいボヘミアングラスには目を引かれた。もしかすると、その下の値札を見ないために潜在的に上側の作品に集中していたのかもしれない。

 黒い馬に乗った警察官もいたし、宗教改革を語る上で外せないフスの像もあった。

 そしていよいよプラハ城だ。また少しバスに乗って、城に着いたときはずいぶん高いところまで来ていた。もちろん町のシンボルともいえるこの城は先ほどのカレル橋からも十分に見えていた(自慢ではないが写真だって撮った)が、実際にその場へ行くとその立地や、建造物そのものの立派さにまた驚くのだ。内部のステンドグラスは幻想的でロマンチックだった。独りでいたってロマンチックはロマンチックである。誰に文句を言わせようか。

 このプラハ城で有名なのは何といっても衛兵の交代式だ。私はこれまたよく知らないが、これはうれしい。このツアーにしてよかった。やはり見物人もかなりの人数だったが、一人というフットワークの軽さを武器に、一列目に近いポジションに位置することができた。管楽器の音が勇ましく、衛兵の硬い靴底が石畳にぶつかる音と銃のカチャカチャという音が緊張を誘うかっこいい式だった。

余談だが、私はこういう真剣な場面が得意でない。まじめな顔をしていられない。だから体育の集団行動など、まじめな顔して静と動をピシッピシッと決めていくのになかなか苦労していた。どうしてみんなはあんなにきっちりとまじめを通せるのだろう。なんとか見習いたいものだ。

 

 さて、この式の終了を以って一旦解散である。正直なところ、そろそろ不慣れな石畳による足腰の疲労が色濃くなってきたことをここに宣言する。しかし休んでいる暇はない。歩きたくないが、その先には赤い屋根、緑の屋根、白い壁、日本では見られない美しい景色が待っており、私だってそれを求めてここまで来たのだから歩かざるを得ない。

 異国の道は面白い発見が多い。特に感銘を受けたのはある道路標識である。

「ここは幅何メートルの車両まで通れますよ」といった標識と並んで、馬が荷車を引いている標識があった。赤丸で囲われ、斜め線(禁止を示す)が入っていなかったので、「ここは馬車が通ってもいいですよ」のサインであろう。ずいぶん心和む標識だった。

 そろそろお昼ごはんを食べたいところだ。こういうときにひとりだと楽だ。私はチェコ名物のクネドリーキという、小麦粉だかジャガイモだかをこねて丸めたパンみたいなものがあるらしく、それを食べてみたかった。

必要もないので誰とも相談せずにインフォメーションセンターに行き、クネドリーキの食べられるレストランを聞いた。ちなみにそのインフォメーションセンターは旧市街地にあり、旧市街地はたいへん道がわかりにくい。少なくとも、方向感覚が弱く、地図読解能力も人並みの私にとって、「見知らぬ土地のわかりやすい地図」は非常に重要だが、教えてくれたレストランは(当然)旧市街地にあり、渡してくれた地図も「そこそこ」にしか拡大していないものだった。旧市街地の細かい路地を網羅してくれてはいない。

 そして私は道に迷った。人にも聞いた。彼らはあまり英語を解してくれなかったし、べつにそれで彼らを責めたりはしないが(そもそも私が彼らの指示をよく理解していなかったのだと思う)、結局教えてもらったのとは違う、薄暗いバーのような雰囲気を持つ、他に誰も入っていなかったレストランに入った。こういうときにひとりだとある意味楽だし、そのぶん不安も一身に背負うことになり、ややつらい。

 店内に入ると、おばちゃんがどちらかといえば愛想よく迎えてくれた。「クネドリーキはありますか?」と私は聞いた。私はクネドリーキが食べたいのだ。「ええあるわよ」と言ってくれ、私は満足感を覚えた。こういうときにひとりだと達成感が強い。クネドリーキは肉料理にかかっているソースをつけて食べるものであるらしく、そこで私はチキンソテーを頼んだ。

 おばちゃんは注文を受けて、誰にそれを託したのか、それからは夫とレジ前でずっとしゃべっていた。はじめはフライパンだかオーブンだかが温まるのを待っているのではないかと思っていたが、どうやらそうではなく普通に料理ができあがるのを夫とおしゃべりしながら待っているのだ。

途中で人が入ってきてお客さんかと思ったら友人らしく、三人で話しはじめた。しかしとにかく何の音がするわけでもなく、厨房に人がいるのかもわからず、本当に料理を出してくれる気があるのかもわからず、ひとりでドキドキしはじめたころに料理が出てきた。

例のおばちゃんが持ってきてくれたわけだが、そのときの雰囲気が何ともいえず、今回は偶然料理を提供することができた、みたいな空気をまとっていた。もちろん彼女は何も言っていない。召し上がれ、みたいなことを言っていたが、あれはなんだったのだろう。あるいは、注文を受けた形跡も、料理をしている気配も、ましてや出来上がった気配もなかったのに料理が出てきたから私がひとりで勝手に驚いたのかもしれない。料理を持ってきてくれた後は、またおしゃべりを始めた。

 味はおいしかった。クネドリーキも素朴でいいなと思ったし、チキンソテーは失敗のしようがあるまい。添えあわせでついていた、柴漬けのような紫色の酸味のある何かもおいしかった。キャベツだろうか。ただ後々思い返すと、作っておいてあるクネドリーキと、何かの酢漬けと、チキンをレンジでチンしたのかなぁと思わないでもない。まぁかまわない。おいしかったから。

 私、つまり客が食べている最中にすぐそこで、例のおばちゃんが思い切り鼻をかんだ。私はそのときに、なぜか強烈に西洋を感じた。