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月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その1-3(プラハ)

 昼食を終え、再び散策を始めた。チェコの情報をほとんど持っていない私だったが、唯一、中学校の音楽の授業で習ったスメタナ氏がここの出身であることをどこからか知ったんだか、覚えていたんだか、とにかくその生家があるということでそこに向かった。

途中で腹痛に襲われてやむなく公衆トイレを使った。10コルナ支払わねばならないが仕方ない。ある程度予想はついていたが、雰囲気からして治安の良くない感じがして、落書きもまぁいろいろであった(上か下かで言えば下の話である)。

 スメタナの生家は、今はスメタナ博物館となっており、入場料は25コルナであった。安い。学割が効けばいいなと思って自分が普段使っている日本語表記の学生証を提示してみた。半分ギャグで、学割が効けばラッキーだし、まぁちょっと笑ってくれたらいいけど、という感覚で提示したが、学割は効かないしウケないし、不必要に傷ついただけだった。

 博物館はこぢんまりとしていたが趣があった。博物館といっても大きい一部屋にスメタナの年表や肖像画などが置いてあるだけの規模である。しかし、だからこそスメタナがいた当時に思いを馳せやすかったし、すぐそばを流れ、窓からのぞくモルダウ川は外で見るより雄大に、厳かに見えた。「モルダウ」の作曲者ここに見参である。

また、スウェーデン西側最大の都市であるイェーテボリにもコンサートに行ったことがあると知ってうれしくなった。19世紀にチェコからスウェーデンに行くことは容易ではなかったであろう。

 その後、疲れた私はLEGAと書いてあるLEGO専門店に入って少しだけ子ども心をくすぐられたのを最後に、トラムに乗って帰ることにした。どうせこれからトラム乗り場を探すことと、それがきちんとホテルの近くの停留所まで行くものなのか確認することと、それにちゃんと乗ってすました顔をしているのに疲労するのである。

 思いのほかトラムに乗るところまでは(これまでの自身の人生における無残をかんがみれば)すんなりといった。運賃システムがどうなっているのかわからなかったが、他の乗客を見ていると特に何も支払わずに乗っていたので後払いなのだろう。

トラムは街の中を走るが、これがまたなかなかの加速性能と旋回性能を誇る。加速時はかなりのGが体にかかり、立っていればつり革につかまっていることなしに無事は保障されないし、いすに座っていてもグーッといすに体が押し付けられる。曲がるときもスピードをゆるめないので、もはや軽いアトラクションだ。

放送もチェコ語なので何を言っているのかよくわからず、自分の停留所までどのくらいの距離と時間がかかるのかも把握できていないままに車窓を楽しみつつ、ガイドさんが「この路線のこの停留所で降りなさい」と各グループに渡してくれたメモと車内に表示される停留所名とを交互ににらみながら降りる準備を進めていた。みんな今頃、お友達同士でお土産を買ったりおしゃべりしたりして楽しいんだろう。それにしてもみんなは運賃を支払わない。

 いよいよそのときが来た。降りるべき停留所、ここで間違いない。私は降りた。運賃の払い方がまったくわからず、「チェコはトラムが無料なのか」と半分希望、半分本気で考えて、結局無賃乗車したことになる。バカである。ひとつだけ言い訳させてもらうと車内で20コルナ落としてしまい見つからなかった。誰かがパクったのかもしれないし乗客すべての死角に落っこちたのかもしれないが、とにかく私は20コルナをそのトラムに支払ったことになる。運賃にさすがに20コルナは多すぎるはずだ。だから無賃乗車の罪は薄れる、むしろ向こうを儲けさせてやっているではないか、と考えていた。根が小心者の私なので、停留所に誰に咎められることもないままに降りてもトラムが完全に行ってしまうまでそれを呆然と見送った。「おれ、運賃払わなかったけどいいのかな。払うつもりはあったのに」という風を装ったのだ。装ったというか、実際、よくないことをしているとはわかっていたのに対処法も思いつかずに困っていた。トラムを降りるときに感じたような気がした乗客の「え、コイツ運賃は?」という視線を思い出していた。再度繰り返すが、自分が過敏なだけの可能性も大いにある。

 翌日の朝食のときにガイドさんにそのこと(運賃の支払い方がわからなかった、だってみんな払ってねぇもん)を話すと、「そんなはずはない」旨を伝えられた。当然である、そして私はバカである。詳しくは忘れたが、とにかく運賃は支払うことになっているという。磁気カードのようなスマートな方法を採用している人が多く、私に分かりにくかったのかもしれない。

 とにかくトラムを降りてホテルに戻ることもできたが、晩ごはんをプラハで済ませなかった以上(みんな市内でごはんを食べて楽しいのだろう)なにかパンでも買っておきたかった。のどが渇くので水も欲しい。近くにスーパーがあることを知っていたのでそこに行ってみることにした。ちなみにこれに関しては、もちろん方向音痴な自分が見知らぬプラハでひとり夜をさまようことを恐れていたことも大いにあるが、外国のスーパーというのがどのような感じなのか知りたかったこともあったのでさほど敗北感は感じていない。

 スーパーに入ってみると、内部構造自体にさほど違いは感じなかったが、商品のサイズが大きいことをすぐに実感した。あらゆるものが大きいのだ。手ごろなサイズのジュースでも飲みたいなと思っていたのだが(ちなみに私は果汁100%ジュースが大好きである)、どれも1リットル以上の代物で、もっと小さいサイズのものを探すと今度はお子様用の、かわいいイラストの入った紙パックになる。目に留まったレッドブルは、日本で売られている大きめサイズか、日本では見たことがないさらに大きいサイズのものが売られており、欧米人の精力の強さには気をつけなくてはと改めて心に刻んだ。仕方がないので水を買うことにしたが、炭酸水を買わないようにじゅうぶんに注意した。

 さて、食べ物が欲しい。パンは種類が多い。それも、菓子パン、惣菜パンというよりも、本当に「パン」である。チーズをのせたりジャムを塗ったりして食べるタイプのものだ。チーズの種類もやはり多い。しかし残念ながら私は何ものせずにつけずに食べたい人間である。いくつか白めだったり黒めだったりする、見るからにぼそぼそとしたパンを3つ買った。ぼそぼそのパンも意外と好きである。

 店を出ると、気づいていなかったが向かいにマクドナルドがあった。Mac Caféと書いてあり、ケーキも売っていた。

ホテルに帰っていると、周りは団地になっていることに気づいた。道には3~50m間隔ぐらいでゴミ箱が置いてある。分別されているのか、そもそもするべきなのかよく分からなかったが、寒さでたくさん鼻をかんでいた私には、カバンが鼻水でべたべたにならなくてもいいのでありがたかった。ゴミ箱は旧市街には見当たらなかった。観光地に置くと汚されてしまうのだろう。

 

結局ホテルに戻ったのは17時だったが、一日中どんよりとして寒かったため、ずいぶんと疲れた気がした。そういえばチェコの小便器も高い位置にあったなと思いながら、スーパーで買ったパンを食べ、水を飲み、シャワーを浴びて寝た。

 早く寝たぶん、翌朝はやはり早く起きた。朝食にスパゲティが増えていたが、それ以外は前日とメニューは変わらない。相変わらずあの「砂糖パン」うまいな、といくつも食べてしまった。周りの人たち(たぶんチェコ人か、少なくとも欧米人)はハムやチーズといったタンパク質系をたくさん摂っていた。同じツアーの人たち以外(つまりチェコ人か少なくとも西洋人)はコートやカバンを持って歩いたりはせず、いすに置いて料理を取りにいっていたので、そのほうが楽でいいやと思って私もそうした。

 身軽になった私には幾分か周りを見渡す余裕が出てきた。男性客が多いが、カップルや親子も見られる。女性は鼻が高く、スタイルが良い。タイトな服装を着ているからそのスタイルの良さが際立ち、まったく自分たちに似合う服装を心得ているもんだと思った。ちなみに俗者の私は、森ガールファッションは日本で生まれるべくして生まれたかなとも思い、それはそれで好きなんだけどと結論付けて朝食を終えた。

 部屋に戻り、テレビをつけながら荷造りをした。もうすぐバスに乗り込んで、次の町、チェスキークルムロフに向かうのだ。テレビでは1チャンネルをつけていた。何を言っているか全く分からなかったが、ニュースの後に子ども向け番組のようなものをやっていたから、国営放送なのかもしれない。

 

 

プラハ考:人々は男女問わずよくタバコを吸う。ピザ屋が異常に多い。そして寒いのに外でしゃべりながら酒を飲む。酒とタバコ、それに良く合うピッツァ。楽しいだろう、太るだろう。

トラムも車も走るが、旧市街には信号が少なかった。そこそこ大きい交差点にもなかったりする。ただ、車側にある程度譲る意識があり、歩行者はわりと自分たちのタイミングで渡れる。車側の親切心が消えたその瞬間、歩行者が永遠に道を渡れないという地獄絵図が浮かぶ。良い習慣だと思うのでこのまま続けて欲しいものである。