月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その1-4(チェスキークルムロフ)

バスは9時にホテルを出発した。途中にIKEAがあった(スウェーデン発祥の家具屋さん。スウェーデンのことを勉強していたらどうしても反応してしまう)。しかし、風景はあっという間に何もない野っ原、雪の積もる真っ白な野っ原になった。日本に普段住んでいる身としては、土地が有り余っておると思わざるを得ない。

途中、トイレ休憩をしたスタンドで水を買った。私はとにかくヘルシンキの悪夢が頭をよぎったので、とりあえず炭酸ではなさそうな水を商品棚から選びレジに持っていって「これはノンガスか」と聞いたら、「青のキャップのやつがノンガスだ」と言われた。

私のキャップは水色である。聞いてよかった、もしかしたら強炭酸水で、キャップを空けた瞬間に爆発していたかもしれない。ヘルシンキの悪夢とはどうやら完全におさらばだ。再び商品棚を探すと同じメーカーの水はなかったので、他のメーカーの青色のキャップを選んで水を買って早速飲んだら微炭酸だった。

買うときにカードを出すと、キャッシュオンリーだと言われたが、現金はいざというときのためにとっておきたかった。カードしか持っていないし、じゃあ買わないと言ったら店員はしぶしぶ受け取った。後にもこの話は出るが、みんなそんなにカードは嫌なんだろうか。

再び出発するが、道沿いにあるのは電線と木々である。そして雪。幻想的だと感じた。木も日本にあるものとは種類が違うから、殺風景であっても異国を感じられた。ときどきマンションが見えたがとてもカラフルだった。ラブホテルみたいだと思ったが、実際どうなのだろう。いくつかそういうのが固まって建っていたから本当にそうなのかもしれない。そしてそうこうしているうちに11時半、林を抜けるとチェスキークルムロフに着いた(そんな印象を受けた)。

 

チェスキークルムロフは町全体が世界遺産に登録されているという小さな町だ。バスはホテルの前で私たちを降ろしたが、ホテルのチェックインはまだだ。ツアー客は一旦大きな荷物だけ預けて、自由に観光や昼食を楽しむ時間になった。

たしかにかわいい町だ。石畳の続く道、黄色や白色の壁、赤い屋根。山なりの地形で上り下りが結構しんどい。高い建物は教会とお城(クルムロフ城)だけだ。おみやげには木を使った温かみのある人形や置物が多くあった。

いくつか気に入ったものがあって、買おうと思った。店を入るときにカードが使えることは確認していた。さっきからなぜそんなに現金を使用することを恐れているのかとお思いかもしれないが、現金はいざという時のためにとっておきたいのである。それはつまり、現金の持ち合わせが少ないのである。

私はそもそも、クレジットカードを勝手に絶対視していて、財布は盗られるものだと勝手に思い込んでいて、財布に多額の現金を入れておくのを嫌った。チェコのお金(コルナ)、オーストリアとスロバキアのお金(ユーロ)、ハンガリーのお金(フォリント)をそれぞれ1000円分ずつしか持っていなかった。そして、空港から家に帰るためのバス代として日本円を2500円程度残しておく、それだけにしていた。

カードがあるのだからかまわない。お金に困ることはない。しかし、その確信はヨーロッパ人のめんどうくさがりのせいで揺らぎ始めた。それがこのチェスキークルムロフでのおみやげ購入に始まり、さらにその後に私を破滅に陥れるのである。

おみやげには細々した物をいくつか買っただけだったので金額があまり大きくならない。どうやら彼らは(応対してくれたのは女性だったが)少額の買い物ではカードを使わせてくれないようだ。

私は決心した。現金を使おう。こんな小さなことでも相手の心に不快感を与えてしまうようでは、外国語学部の学生として合わせる顔がない。カードで払わせろ、キャッシュで払えと揉めてどうする。そして私は快く現金で支払いを済ませ、「おっ、硬貨もかっこいいな」とひとりでテンションを上げていた。そしてお昼ごはんを食べようと適当な店を探して入った。

ウッド調をあしらった温かみのあるお店、いすには座布団のようなクッションが敷いてあってなんだかかわいい。明るい感じのおばちゃんがオーダーをとってくれる。何をどう頼めばいいのか分からなかったが、メインディッシュ、添えあわせ、飲み物を頼めばいいようだ。飲み物には水を、メインにはマスの焼いたものを頼んだ。チェコには海がないから川魚が有名であることを知っていた。添えあわせにはポテトを勧められた。ポテトにもいくつかあり、フライドポテト、マッシュポテト、ポテトケーキとあったが、ポテトケーキとは初耳だったので「ポテトケーキってどんな感じのものですか」と聞いたら、「うーん、ポテトのケーキね」と言われたから、「じゃあそれで」と頼んだ。

時計が12時で止まっていて、「いつでも食べごろ、おいしいですよ」ということかなと思っていたが、その後至るところで12時で止まっている時計を見かけた。チェスキークルムロフはかわいくてお気楽な町だ。

味はおいしかった。ポテトケーキとはハッシュドポテトのことであった。しかしとにかく食事のことよりもその後の一連が衝撃というか、ショッキングすぎて、もう味の細部なんて思いだせない。

それは会計を済ませる段になって起きた。

カードが使えない。

そうなのだ、今回に限って、入口にある「どのカードが使えますよ」シールを確認していなかった。

現金でしか支払えない。残っているチェココルナだけでは足りない。仕方がない、オーストリアとスロバキアで使うことになるかもしれないユーロも総動員でここを乗り切らねば。

「200コルナ足りないね」レジ係の男性が言う。自慢じゃないがこっちにはもう、チェコで通用するお金なんて1銭もない。ためしに1000円札を出してみた。その男性の大学での卒業論文が野口英世の黄熱病研究への多大なる貢献についてだったら、事態は好転する。

やんわり黙殺された。

彼は野口英世のすごさをまるで知らないようだ。恥を知ってほしい。もう仕方がないから私は、「そこの両替所でお金を両替させてくれ」と言った(実際、言えていたか分からない。とにかく精神的にぼろぼろで、ろくに英語なんて話せていなかったろう)。そして彼は「NO」と言った。

残されたものは絶望。私は正直に打ち明けた。「もうお金がないんです」と。すると彼はなんていったと思う。なんて言ったと思う!

「知ったことではない」

「そこにいる日本人に借りればいいじゃないか」

そんなこと、そんなこと・・・。たしかにいる、そこに日本人はいるが、それは同じツアー客の女の子たちである。彼女たちは友達同士で海外旅行を楽しんでいるのであり、そこに突然「そういえばいたなコイツ」みたいな男が「お金貸してください」なんて来たら、その夜は一晩中そのネタをつまみに飲める笑いものである。

しかし私に選択の余地などない。ここでお金を借りて支払いを済ませないと、私は無銭飲食のクレイジー東洋人だ。

一歩一歩、女の子のもとに近づく。女の子といっても、当時私は19歳になりたての大学1年生だったから年上か同い年だろうが。

「あの、」

「あのー、お会計ってどうしたらいいんですか?」

なるほど。いい質問だ。たしかに私はひとりで旅行に来ているし、会計の場で店員となにやら話しているし、彼女らにとって旅慣れたお兄さんに見えたのかもしれない。しかし、それは若さゆえの過ちというものだ。私がひとりなのは、沢木耕太郎氏の伝説の作品『深夜特急』をはじめとする海外一人旅本を何冊か読んでいた影響で旅はなんとなくひとりでするもんだと思って自然な流れでそうなっただけだし、店員さんと話していたのは先述のとおり、それは会話というより駆け引きに近いものだ。しかしそんな事情を彼女らが知るはずもない。

「Can I have a check?とかでいいと思いますよー」

「なるほど、ありがと・・・」

「お金貸してくれませんか」

 

消したい記憶をもう少し書くとすると、彼女らは快くお金を貸してくれた。わけも聞かずに、200コルナが必要だという私に200コルナ貸してくれた。私は500円を渡して「これでそっちのほうが少し得、ぐらいだと思います」と、レートをちょろまかしていないことをアピールして勘定を済ませた。本当にありがたかったし、私個人としては燃えるように恥ずかしく情けない気持ちでいっぱいだったが、同時に、絶望のふちに叩き込まれた身体の体温は30度をきっていたはずだ。