月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その1-7(ウィーン)

翌朝も6時半には起きてロビーにあるビュッフェ形式の朝ごはんを食べた。やはりやはりたくさんの種類のパンがあって、ケーキみたいのものではなくて固め生地でおいしい。1、2種類は甘いようなものもあるからバランスがいい。

しっかり朝ごはんを食べて、支度をして、8時少し前にロビーに下りた。私は幸か不幸か疑り深くなっていて、他人にも自分にも半信半疑だったので、フロントの人に聞いてみた。「昨日頼んだんですけど、タクシーは呼んでくれていますか?」

彼女は昨日の受付の人とは違うが、確認を取ってくれた。「いいえ、タクシーの予約はとっていないようですね」

あぁそうですか、なるほど。こういう悪い予感とかが的中したときってどういう心境になればいいのか本当に分からない。こんな予感を抱かなかったらまたひとつ運命は変わっていたのかなぁ、とか考えてしまう。

改めて、その受付の女性にクレジットカードを使えるタクシーを呼んでくださいとお願いした。その人は非常によく対応してくれて(べつに昨日の人の対応が悪かったわけではないけど)、助かった。それでも2、3回は「クレジットカードが使えますよね?」と念押しで聞いていた。

疑っているというのは聞こえが悪い、確認をすることは大切だ。これは、これから海外旅行をしようとする方々にはきちんと伝えておきたい。

やってきたタクシーはベンツだった。オーストリアだからドイツ車なんてお家芸なんだろうが、やはり日本人からすると「おっ」と思ってしまう。ガイドさんからもらった地図とホテルのフロントから取ってきたウィーン中心部の地図を見て、とりあえずオペラ座の前で停めてもらうことにした。

ドライバーのおじいさんにお礼を言ってチップを渡し、「12時にもう一度ここに来てくれませんか?」と英語で頼んだが分かってくれなかった。お年寄りだからだろう。ものは試しと思ってスウェーデン語でも頼んでみた。わかってくれなかった。私としてはタクシー代を現金で支払うことはできない(私がいま持っている現金は、ハンガリーで使えるフォリントのみである)からカード払いができると確約されたタクシーを手放したくない。最終的にノートに12:00と書いて、「ココに!」と身振りをしたが、断られた。意味は通じたと思うのだが、だめだった。仕方ない。散策を少し早く切り上げてタクシー探しに時間を充てなければ。

ともかくも車を降りるとそびえ立つオペラ座。格式の高さが尋常ではない。何度も見上げ、周囲を歩き回り、写真を撮ったら、今度は市場に向かった。日曜日は食品の市場だけでなく、蚤の市もやっているらしく、たいへんにぎわっていた。蛇口を大量に取り揃えているところや、旧式新式カメラを幅広く取り扱っているところ、家具、インテリア、電球、そのほかたくさんの品物が広げられていた。市場は大きさも大きいし、様々なにおいがした。私の苦手な生鮮品のにおいもした。

今日は晴れて暖かい。コートを脱ぐのは少し寒いかもしれないが、少なくともプラハのときのような体を縮こまらせる寒さはない。

ふと見ると、「2028年のオリンピックをウィーンに招致しませんか」というようなポスターがある。ドイツ語は読めないが、オーストリアが15年後の他の国のオリンピック招致を今から応援するとは考えにくいのできっとそうなのだと思う。それから半年後に2020年オリンピックの開催地が東京に決まるなんて知りもしない私である。

それから今度はしばらく歩いて昨日の国会議事堂方面へ向かった。ゲーテの銅像があり、ベートーベンの銅像がある。ドイツ文化が間違いなく近代を引っ張ったことを物語っている。そういえばベートーベンの正しい発音はベートホッフェンなのだと聞いた覚えがある。

そんなことはどうでもよく、王宮を目指して歩いていると巨大なマリア・テレジア像があった。シェーンブルンに引き続きここでも、オーストリアの母は私なのよとアピールされた。とにかくデカイ銅像なのだ。カメラでは近くからの全体像を写せないから、少し面倒な自己顕示であると思った。

この像は自然史博物館と美術館の間に立っている。それぞれ建物は典型的なヨーロッパ建築らしく対称的な構造になっているし、そもそもマリア・テレジア像を中心にその敷地が対称的に作られている。写真には写らないが、博物館にも美術館にも緻密な彫り物が施されている。

美しいなぁ、ウィーンは美しいなぁ、と誰だって感じる感想を胸に、道路を挟んで向かいにある王宮に向かおうとすると、一人の女性がこっちにやってきた。そして花を渡すのだ。それをもらおうとすると、「ちがうちがう」と言う。お金がいるというのだ。もらえるのならとりあえずもらおうと思ったが、お金を払ってまで荷物を増やしたくない。しかし実はうれしかった。こういう話は、私が非常に影響を受けた本『深夜特急』で読んだことがあったのだ。「本当にこんなことがあるのか」と思ってうれしかったのである。

王宮敷地内に入るとそれはもう、素晴らしい。王宮は、王宮と言うだけあって広大な敷地を持ち、道路もあるが芝生も整備されて美しく、そこに青空が良く似合うのだ。王宮の壁から少し上に視線をずらすとのぞく青空、それは本当に美しい。くもっていても王宮の重みが増してよいのかもしれない。見渡すと先ほどの博物館も見えるし、市庁舎や国会議事堂も見える。完璧なロケーションだ。国会議事堂のアテナが一際美しく見えた。

美しすぎて鼻が出て鼻をかむ。ティッシュを捨てようと思って、ふたのついたゴミ箱らしきものがあったからふたを開けると馬のフンが捨ててあった。たしかにこの町には馬車が走っているが、その排泄物なんて別にふたを開けて見てみたいものではなかったから少し落ち込んだ。少し考えればそれはやけに大きいしドッシリもしているからただのゴミ箱でないことぐらい分かりそうなものだが、それが分からないのが私である。

さて、そこからは一旦もと来た道を引き返してオペラ座のほうまで戻る。シュテファンナ寺院に行くためだ。よく知らないが、有名らしいので行ってみることにする。タクシーを見つけるのに時間が必要だからあまり遠くまではいけないのだ。

道を歩いていると、客引きにシェーンブルン宮殿のコンサートに誘われた。どうやらどこかの楽団がその日の夜に公演するらしい。興味はあるがツアーの都合で昼にはウィーンを去らねばならない。その旨を説明すると、男の人だったが、「どこから来たんだ」と尋ねてくる。日本だ、と答えると、「私も日本出身だ、サムライだよ」と返してきた。「I see(なるほど)」、と次を待ったがもう何も出てこなかった。

至る所に宣伝屋さんがいる。ふたりめには初っぱなから「東京出身だ」と言われたので、「サムライでしょ?」と返すと笑っていた。彼らとしても、次までにもう二つ三つレパートリーを増やしておきたいところだろう。ちなみに、「俺は大阪出身だ」と言うと、それは理解していた。彼らとしても、新喜劇のズッコケあたりはマスターしておきたいところだろう。

それにしても本当にたくさん宣伝している。なにせシェーンブルンだ、なかなかの規模なのだろう。日本人へのお愛想のレパートリーが「サムライ」しかないのは今後に期待だが、こいつらある程度慣れてやがるなと感じたのは、彼らが日本人、韓国人、中国人を見分けて「こんにちは」、「アンニョンハセヨ」、「ニーハオ」と声をかけていたところである。私たちでもこの三者はときに見分けにくいが、彼らは的確に見分け、私が見ていた限りではハズレていなかった。私と彼らが同じように外していた可能性もないではないが。