月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その1-8(ウィーン、ブラチスラバ)

オペラ座のあたりからシュテファンナ寺院までは歩行者天国のようになっていた。たくさんの人がいて、いろいろなお店が華麗に並んでいる。目的地にしていたシュテファンナ寺院は工事中で、中は見られなかったし外も防護シートで覆われていたのが残念だったが、ここに関しての情報は何もなかったので実はさほど残念ではなかった。

近くには活版印刷の生みの親であるグーテンベルクの像があり、そっちのほうが私には嬉しかった。

来たのと同じ歩行者天国を帰っていると、ちょっとしたパレードのようなものに出くわした。たくさんの子どもが風船を持って行進している。その周りには数人の大人。何か看板を持っている者もいるが、ドイツ語で書かれていてよく分からない。病気の子どもを支援する会、とか、経済的に貧しい子どもにもきちんとした教育を求める会、みたいなところなのかなと推測した。とりあえず、ここは人が多いところなので宣伝効果は高いと思われる。

ベンチに座ってパンを食べながら行きかう人々を眺めていたら、明らかに自分より年下の子どもからタバコをねだられたし、別の子どもからはパンだかお金だかを分けてくれないかとも言われた。タバコは持っていないし、お金はこっちも持ってないし(私がいま持っている現金は、ハンガリーで使えるフォリントのみである)、パンもあげたくなかったので全て断ったが、ふたりともアラブ系の顔立ちをしていたのが少し気になった。偶然なのかもしれないが、オーストリアにも移民問題や人種差別のようなものが少なからず存在するのかもしれない。

買ったパンのひとつに岩塩が使われているものがあって、よくわからないが岩塩はこのあたりの特産品のようなものらしかった。なかなか塩味の効いたパンだったなと思いながら、いよいよタクシー探しだ。

オペラ座周辺は観光客が多いのだろう、たくさんのタクシーが止まっていたのだが、なかなか「カード使えますよ」のステッカーが貼ってあるタクシーが見つからない。いくらなんでも、ここは先進国オーストリアの首都ウィーンだし、そこを走るタクシーが全然カード払いできなんてことはありえない、たぶんステッカーを貼っていないだけで実はカード払いもできるんだろう、いけずなウィーンめ、と甘い考えを抱きながら聞くタクシー聞くタクシー、本当にカードが使えないようなのだ。そうこうしているうちに時間は過ぎていく。ホテルに再集合してツアー客同士でバスに乗らなくてはいけないのに。これでもし、「ひとり足りない」とわかって、「あ、あのひとりで来ていた男の子」とわかったら。それこそ私が体温30度でチェココルナを貸してくださいと頼んだあの女の子はどう思うだろう。

絶対に間に合って帰らなくてはいけない。しかし続々とタクシーは客を乗せて走り去っていく。あと5分ぐらいしか余裕はないぞ、というときにやっとカードを使えるタクシーが見つかった。正直、そのドライバーを見たときに「この人・・・?」という思いは抱いたが、背に腹は変えられずそのタクシーに乗り込んだ。

というのも彼は、肌は浅黒く、白くて長いモジャモジャひげをたくわえて頭に黒いターバンという、どこにもウィーンどころかヨーロッパさえ感じさせないオッサンだったからだ。ホテルの地図と住所の載っている紙はフロントから持ってきていたのでそれを渡して、「このホテルがわかるか?ここに連れて行ってくれ」と頼んだ。

たしかに私もその紙を見て「ずいぶんおおざっぱで雑な地図と説明だなぁ」と感じはしていたが、そのオッサンは私以上にまるでわからないらしく「これはmedicine company(製薬会社)かい?」と聞いてきた。「なんでやねん!」と思いっきりツッコんでやりたかったがグッとこらえ、「いや、ホテルだ」と伝えた。私は「このホテルに連れてってくれ」と頼んだはずである。

彼はカーナビを起動させ、走り始めた。だったら初めから使えよ、と再びツッコみたくなったが、彼なりの事情も考慮して再びグッとこらえた。段々と昨晩見覚えのある道を走り出し、「ココ左に曲がってくれよ」というところできちんと左に曲がってくれたので15分のドライブのうちの最後の3分は車内でリラックスできた。カーナビのおかげで私はもちろん、彼も救われたことだろう。

無事にホテルに着いて、彼も「いやー、無事着いてよかったよ~」みたいなことを言っていた。そのときは私もミッションコンプリート感に満ち満ちていて「本当だね~」みたいなことを言ったと思うが、よくよく考えるとけっこう恐い発言である。少なくともタクシードライバーのプライドの7割は捨てている。

集合時間15分前に到着し、全員揃ってバスは出発した。バスはずっと高速道路を走る。何もない大草原の間に道路をつくりました、という感じの道路だ。というか、たぶん本当にそうなのだろう。

ついさっきまで歩いていたウィーンを改めて思い返す。オペラ座やシェーンブルン宮殿、王宮など昔からの建物が大なり小なり役割を果たし続けている一方で、新市街のほうは近代的な建物も多く、工事も各所で進められていた。旧式の建物は、観光用以外取り壊していき、近代ビルに取って代わられるのかもしれない。私にはそのあたりの事情はよく分からないが、写真には写せないような緻密な飾りが施された石造りの建物は本当に美しいと思えたし、あるいはその「華麗」を街全体で具現化していることこそが市民の誇りなのか、タバコの吸殻のようなものも含め、あまりゴミが道端に落ちていなかったことも印象的だった。

 

ぼんやりそんなことを考えていると、何もない高速道路からポコッと綺麗な建物(ビルではないのだ)群が見えてくる。それが次の目的地、スロバキアの首都ブラチスラバだ。私はいつもブラチスラバかブラスチラバかわからなくなる。どうでもよい。

バスはまずブラチスラバ城に着いた。白い壁に赤い屋根。赤い六角錐が屋根から三つ飛び出ており、上下を逆転させて見るとテーブルのように見えることから愛称はテーブルだそうだ。今まで見てきた城や宮殿と比べればずいぶん小ぶりでかわいい愛称を持つこの城はしかし、スロバキアの国旗を堂々とはためかせ、町のいちばんの建物として威厳を持って建っている印象を持った。

傍らをドナウ川が悠々と流れ、町を一望できる。滞在時間は短かったが、一国の首都の城を誇るにふさわしく、3月の風がまだ冷たいせいだけではなく、こちらの背筋を引き締める雰囲気を持つ場所だと感じた。

さて、ここは芸術の町なのだろうか。旧市街にはちらほらトリック銅像が仕掛けてある。ビルの陰からファインダーを向けるパパラッチのような銅像、マンホールから顔を出しているものもある。はじめ、観光客たちが地面を覗き込んでいるのを見て何事かと思った。また、生身の人間も絵を描いたり演奏したりしていた。

ドナウ河にかかる橋には円盤型の展望台があって、UFOの名を持つそうだ。何と煙は、ではないが高くて景色の良い所が大好きな私としてはぜひ行ってみたかったが、時間の都合上断念せざるを得なかった。

もうひとつ気になったのはタバコの吸殻である。観光地の旧市街では目立たなかったが一本それた道には「え、ここゴミ捨て場!?」ぐらいにどっさり吸殻が捨ててあったりする。あるいはウィーンやプラハでもたまたま見かけなかっただけなのかもしれない。

とにもかくにも昼間から酒場に人は入っており、ヨーロッパの酒、タバコ文化を肌で感じた。酒とタバコ、そしてテレビでのサッカー観戦だ。

路面電車が走っており、赤い車体に「Little Big City」と書かれていた。ブラチスラバに滞在できたのは3、4時間だけだったが、その路面電車にもお城にも規模が小さいなりに首都としての誇りや威厳を感じ、個人的に好感が持てた。もっとも、ブラチスラバ、引いてはスロバキアからしたら私の好感度なんてまるで興味ないだろうが。

 

 

ブラチスラバ考:実は本当にいちばん気になったのはお土産屋さんである。なぜかお土産屋さんの店員の8割9割が若く、そして美しい女性なのである。どういうサービスだろう。この国の経済は、この良き風習を続けるだけで未来永劫安泰なのではないか。冗談はさておき、若い女性にお土産屋さんが人気の職業なのか、それしか仕事がないのか、やはり国策として、若く美しい女性たちが首都の観光地に送り込まれているのか・・・。