4500字小説(アフター・アトム・ジェネレーション)
アフター・アトム・ジェネレーション
あ、そうなんだ。僕が聞いてるのは、あなたの名前なんだけど。
へぇー。なんか、女の子みたいな名前ですね。
奇遇だな。僕も双子なんです。ちなみにもうおひと方は弟さんですか、妹さんですか?
私が自己紹介すると、大体このうちの反応のどれかが返ってくる。
私の名前は双剛野(ふたごの)アニー。性別は男。こんな名前のせいで、自己紹介が本当に面倒くさい。
一つ目の場合。名刺を手早く渡して、きちんと私が自分の名前を名乗ったことを理解してもらう。
二つ目の場合。そうなんです、よく言われるんです、とだけ返しておく。
三つ目の場合。一つ目の場合とほぼ一緒。双子ではなく、3つ上の兄がいることを付け足してあげることもある。だけど兄の名前が双剛野アンネだなんてことは絶対に言えない。話が長くなるだけだ。
いま世界で一番大きい企業といえば、「トップハート・コーポレーション(THC)」と「ベストライフ・クリエーション(BLC)」であることに異存はないと思う。どちらも「心の量り売り」という画期的なアイデアで世界経済、そして人類を席巻した。
私は前者の企業に勤めている。主に広報担当だ。効果的な宣伝文句を考えたり、CMの演出を考えたり、そんなことをしている。
異存はないと思う、と言ってもこれを読んでいる人にわかるはずがないよね。これは、未来=過去の人間に向けたトップハート・コーポレーションの宣伝文書だ。
うちの社長は少し変わっていて、「歴史は繰り返される」という格言をかなり拡大解釈している。
私たちは学校の授業で、人類が生まれる前には猿人がいて、恐竜がいて、そのもっと前には地上植物だけ、水中生物だけの世界があって、もっと遡ると宇宙しかなくて、という風に習う。
だけど社長はそうじゃなくて、遠い遠い昔に宇宙が生まれて、そして地球が生まれて以来、数百万年、数千万年規模でいくつかの生物群が交互に繫栄して、そしてそれぞれがやがて滅ぶ。再び同じサイクルが巡ってきて一からやり直しで歴史が始まる、という風に考える。人類が数千年、数万年かけて文明を築いてもいつかはそれが消滅して、もう一度数千万年経ってやっぱり火を発見するところから始めるようになるっていうことだ。
今までに何度人類が生まれては滅んだかわからないけど、その度に自分たちが初めての人類だと勘違いして生きていくのは違うんじゃないかっていうのが社長の考えだ。
そこで、これまでの誤解を正すために、トップハート・コーポレーションのこの文書が作成される。これが未来にまで残されることになれば、未来の人間は過去にも自分たちと同じ人間が同じように生活を発展させて、ついには滅んだということがわかる。
見るか見ないかは自由として、タイムマシーンがつくられなくても極端に未来=極端に過去の状況なら知ることができる。
ついでに言えば、この文章を基点に新しい暦がつくられるかもしれない。「THC文書前の人類」「4THC文書後」みたいに。
私は、人類が滅亡するときにこの文書だけ残るのかどうかについては甚だ怪しいなと思っているけど、社長は気にしていないみたいだ。こんな活動もしていますよ、というアピールができるだけでも十分に経済的な宣伝効果があるらしい。
前置きはこれぐらいにして、そろそろ現在の世界のトレンドについて話していこう。
まず人類のひとつの転換期になったのは、顔を自由に選んで取替えができるようになったことだ。
出生1年目の定期健診のときに、そのときの子どもの顔に不満がある親はその顔を取り替えられる。乳児期の顔、幼児期の顔、青年期の顔、みたいなのがサンプルになっていて、その中から選ぶんだ。
でも、15歳になれば子どもの意思で顔を取り替えられる。もっとあごが細い輪郭の顔と交換したいとか、髪の毛のクセ毛はいやだとか、そういう不満は顔を取り替えれば解消されるようになった。
発明の初期は交換費用も高額だったけど、そのうちに子どものおこづかいでも顔の交換ぐらいはできるようになった。これで、思春期のコンプレックスの大半は解消されるようになった。
いま若者の間では毎月顔を取り替えるのが流行になってる。さすがの私もその流れにはついていけてないけどね。
現在、顔生産業界ではモンタージュ製品が試作されてる。今までは顔全体でひとつのサンプルだったんだけど、それを部位ひとつひとつでバラ売りしようということだ。個人個人の好みがもっと反映されるし、差異化につながる。
一方で、顔におけるコンプレックスの再燃も危惧されていて、これからどうなるかはまだちょっとわからない。アメリカあたりで試験販売してみて、その反応次第ってところじゃないかな。(※アメリカというのは、いま現在世界で一番強いとされている国の名前だ)
そんなわけで、いまのところ何千通りかの顔のサンプルが街を歩いている。うちがつくった顔もある。コンプレックスとお別れして、みんな晴れ晴れとした顔だ。まぁ、晴れ晴れとした顔につくられているだけなんだけどね。
少し横道にそれるけど、顔がある程度均一化して、しかも簡単に取り替えられるようになっちゃったから同一人物の判定が難しくなった。
そこで、名前は出生以降一切変更不可能になった。それに、世界中の誰とも重複してはいけなくなった。親は大変だと思う。せっかくいい名前が思い浮かんでも、「その名前は現在使用されているので名づけられません」なんて断られてしまうんだから。
おかげで、先にその名前を使っていた人間を殺して自分の子どもにその名前を使おうとする暴力的な親も出てきてなかなか物騒だ。
名づけるほうも大変だし、名づけられたほうもなかなか大変。その良い例が、私。誰とも重複しなくて、しかも呼びやすいというのが親の言い分だ。言い分は正しい。なかなか思いつく名前じゃないし、別に複雑でもない。そのかわりに、名前かどうかがだいぶややこしいだけだ。
本筋に戻ろう。顔を交換できるようになって、次に交換できるようになったのが心だ。
一時期、先進国を中心に自殺者が急増して世界的に問題になった。世界の一体化が進んで企業にとっては世界中が敵になっていく中で、労働者たちの精神が磨り減っちゃったんだね。そしてみんな自殺した。本当に、もう少しで経済活動が止まってしまうところまで労働者がみんな死んでしまった。
そこで、心が磨り減るのなら新しいものに取り替えればいいということになった。
ちなみに、磨り減るというのは古い言い方だ。心という完全体があって、それがダメージを受けて失われていくという考え方だね。
今は心をいくつかの器の総体と考える。というか、本当にそうなっているんだ。疲れたとか楽しいとか悲しいとか怒っているとか、そういうのひとつひとつが感情のエレメントで、何か感情が発生するたびにそれぞれの心の器に分類されて蓄積される。楽しい気持ちは楽しい心の器、泣きたい気持ちは泣きたい気持ちの器ってね。
それがいっぱいになったら、新しいものと交換する。古い心は捨ててもいいし、保存していてもいい。ダンボールいっぱいに自分の心をとっている人もいるみたいだね。楽しい気持ちでいっぱいになった心をSNSに投稿している人もいるけど、そういうのはけっこうバッシングにあってる。せいぜい、ライブ前の心の器とライヴ後の心の器を写真に撮ってファンのみんなに感謝の気持ちを伝える歌手の人たちぐらいだろうね、そういうことができるのは。
そんなわけで、傷ついた心と向き合う必要もなくなった。失恋の痛みも死別の慟哭も必要なし。心を取り替えればその気持ちとはすぐにおさらばできる。負の感情を乗り越えようとする無駄な時間とエネルギーを排して、人生を隈なく楽しめるんだ。
デトックス作用があるから泣きたいっていう人もいるから、そういう人たちのために小さい器もつくられた。そうすれば、5分も悲しいお話を見れば器の容量オーバーになって目からは涙があふれてくる。手早く簡単に泣くこともできるようになった。好きな男性の心をつなぎとめるのにも使われたりするみたいだね。ちなみにこれはわが社の大ヒット商品だ。
その流れで、心の量り売りも生まれた。手早く得たい感情は泣きたい気持ちだけじゃない。手早く嬉しさで満たされたい人、手早く眠たくなりたい人、いろいろいる。それらのニーズにこたえるために、心の量り売りが始まった。
ちなみに、ポジティブな感情の器は放っておいてもいいんじゃないかって思う人もいるかもしれないけど、それもきちんと交換しなくちゃならない。何にせよ気持ちを溢れさせたままにしちゃうと、ちょうど麻薬を使った人みたいに顔にしまりがなくなって、それでも放っておくと思考回路が停止して死んでしまうから。
それから、
ここまで書いて、彼は退社した。いつものように車で帰る。電車やバスは空を走るが、一般の車は地上を走る。
企業ビルから車で15分、家族で暮らす家に着く。彼も兄もまだ結婚していない。母親と三人で暮らしている。父親は遠い昔にいなくなった。生きているのか死んでいるのか分からない。
晩ごはんのサラダに、彼はマヨネーズをかける。
「おいおい、そんなに強く振るんじゃねーよ!いくら残り少ないからってよ!ちゃんと下向けてりゃそのうち出るようになるじゃねえか!」
「今出ないと意味ないんだよ」
そう言って彼はマヨネーズを外に放り捨てた。毎日午前3時から4時の間に、道がゴミだと判断したものを自動的に吸い込んで掃除する。早く午前3時になればいい。
あなたのおかげで味が決まるわ、とマヨネーズを褒める女。その言葉に顔を赤らめるマヨネーズ。そのCMのかわいらしさに、感情を持つ調味料は世界中で空前の大ヒットとなった。
それだけならマシだったのに。感情豊かな調味料なんてただうっとうしいだけだ。
「あんた、またマヨネーズ捨てた?」
「だってうるさかったから。もっと普通のマヨネーズはないのかよ。黙ってマヨネーズ出すだけのマヨネーズは」
ニュースを見たって相変わらず暗い話題ばかりだ。
無くならない貧困、疫病、スラム街。一生に一度も心の器を取り替えられない人たちが、感情を失った目をカメラにさらしている。
核武装したテログループが声高に叫んでいる。我々は腐敗しすぎた、一度世界をリセットせねばならない、我々が最後の人類となり、散る。そうして新たな世界が始まるのだ。すなわち必要な犠牲なのだ。
彼はニュースを消して、つい最近やっと完成した「虚無」の器を取り替える。
この器は今の自分の心を正しく示しているか。「不安」の滴がまたひとつ。
ワクチンが完成しては耐性をつけた強力なウイルスが新たに生まれるように、心の器ができてもその間隙を縫って新たな感情が人々に芽生えていく。そして、既存のどの器にも適さない感情に見舞われた不運な人々は、行き場を失った感情に脳内を蝕まれ、やがて死んでいった。
窓の外を見ると、粗末な身なりをした人々がさっきのマヨネーズを奪い合っていた。何をも見据えず、無言でマヨネーズの容器を奪い合っている。
「痛い、痛い、痛い!」と泣き叫ぶマヨネーズの声だけが夜の街に響いた。