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月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その1-10(ブダペスト、ヘルシンキ、大阪)

ハンガリーでは民芸品のレース生地小物が人気らしい。たしかにどれもとても可愛らしく、小物なので値段が張るわけでもなく、思わず買いたくなってしまうものばかりだ。

昼食どきだったので、サッカー中継をテレビで見せているお店に入った。ハンガリーのチームなのか、とにかくクラブチーム同士が戦っていた。これでひとりごはんでも退屈しなくて済む。サッカー中継を見せているだけあって、おそらくここはバーのようなところで、本来は酒かコーヒーを頼むのが主流なように見受けられる。店内は上品でおしゃれな雰囲気が出ている。出てきた水にはレモンが浸っている・・・(そんなことで驚いて悪いか)!私はそこで容赦なく、一度食べてみたかったグヤーシュを頼んだ。それだけでは足りないと思ってツナバゲットも頼んだ。

グヤーシュは、ハンガリーの伝統的なスープ料理だということしか知らなかったが、おいしかった。トマト味の強そうな見た目よりも素朴な薄味でたくさん食べられそうだ。はじめはシャパシャパの具も入ってないスープだという印象を受けたが、底のほうに肉、豆、ポテトが沈んでいて、実際は具もたっぷり入っていた。バゲットにはアメリカ国旗が立っていて、シンクロをしているFUJIWARAの原西を思い出した。

昼食を終え、くさり橋を渡って王宮に行く。王宮は先のマーチャーシュ教会の隣にある。くさり橋は車道が狭くて車が混雑していることがいちばん印象的だった。色味や石の門、ライオンの像など、歴史を感じさせる要素はあったが、実用性には改善の余地あり、といったところだろう。

王宮へは、歩いて登っていくこともできるし、ロープウェーを使うこともできる。時間に余裕はあったが、連日歩き続けて少し疲れていたので、ロープウェーで行くことにした。小部屋が三つ連なっているようなロープウェーに乗ると、王宮まではすぐだった。

王宮にはやはり王宮の荘厳さ、威厳を感じる。偶然だが、衛兵の交替式を見ることができたのも嬉しかった。プラハ城の衛兵交代式は観光の目玉とも言えるもののようで観光客の数も多かったが、ここブダペストの王宮で行われる衛兵交代式はそうでもないようだ。私以外の観光客も、「お、衛兵が交代するみたいだ。せっかくだし見ていこう」という感じである。

だから、プラハのときと違って観光客と衛兵を区切るロープのようなものもなく、いわば野放しなのだが、おもしろいもので観光客もきちんと、あまり近づきすぎず、結局はプラハのときにみんながとっていたようなちょうど良い距離感を保ちつつ交代式を見物する。アットホームな雰囲気の中で行われた交代式だったが、彼らの足並み、足音はきちんと揃っており、プラハのそれに負けていなかった。「衛兵のみんな、君たちはプラハに負けてないぞ」と心の中でそっとエールを送ったのを今でも覚えている。逆光だったからか、もともとそうなのか、衛兵たちがサングラスをしていたのが気になった。

小高い王宮から望むペスト地区も、こちらサイドのブダ地区も素晴らしい眺めだった。ペスト地区を眺めれば、くさり橋や国会議事堂が見え、その前をドナウ川が悠々と流れている。ブダ地区には赤い屋根をした家が連なり、山も見える。王宮の庭園には観光客だけでなく一般人もいるようで、犬と戯れている飼い主もいた。

彼としては投げたボールを犬にとってきてほしいのだが、犬としては何がそんなに気に食わないのか、投げられたボールとはちょうど真反対に走っていく。そのたびに飼い主が戻ってこいと言い、犬もその指示には素直に従う。しかし決して投げられたボールの方向には走っていかず、そんな様子を初春の穏やかな日差しの下で、私は満ち足りた思いで見ていた。

 

王宮見物を終え、マルギット橋まで歩いていく。わりと遠そうだが、山道でもないし時間も余っているし、今日はなんと言っても晴れている。久しぶりのすっきりとした青空のおかげで、私にはパワーがみなぎっていた。

ドナウ河沿いに歩く。自転車レーンと歩行者レーンが分かれているし、歩くのに気持ちの良い場所だ。目の前には国会議事堂が見える。

国会議事堂は左右対称のつくりになっていて、壁は白く、屋根が深い赤い色で塗られている。中央ではドーム状の屋根から尖塔が突き出しており、その両側は始めから刺す気満々で尖塔が伸びている。左右一箇所ずつ国旗が立ててあり、国旗も尖塔も今日の青空を射抜いているように感じられる。

そのほとりに、空とはまた違う青色をしたドナウ河がゆっくりと流れ、国会議事堂の威厳は最高潮に達する。

何度か立ち止まってはボンヤリと国会議事堂を見つめ、また進んでは立ち止まり、ということを繰り返してマルギット橋までやって来た。この橋は、横から見るとわからないが、縦から見ると、橋の中腹で折れていることがわかる。ポッキンと無くなっているのではなくて、きついカーブになっているのだ。その橋を渡り、少し歩いて地下鉄に乗ってホテルへ戻る。

地下鉄駅構内は天井が低いし、汚い雰囲気がした。明らかに「やんちゃですよ」といった風の人もいるし、あまり治安が良いわけではなさそうだ。切符の買い方や電車の乗り方には特に手間取らなかったが、自分が乗った車両がそうだったのか、基本的に全てそうなのか、とにかくボロボロの車両がやってきた。ホームで待つことなく、すぐに電車が来たことに少し驚いたが、車内は暗いし、広告もほとんどない。窓はやたらに黄ばんでいる。ドアは、もはや挟みにかかってきている。ものすごい勢いで閉まるわりに、あまり前触れがないからけっこう恐い。ハンガリーの地下鉄が時間に正確なのかを知るすべはないが、ものすごく飛ばしているように感じた。単に車両が旧式で、揺れが激しいからそう感じただけかもしれない。

しかし、危ない目にもあわず、駅を間違えることもなくホテルの最寄り駅で降りることができた。夕方だから危ない目に遭うこともあるまいと思う一方、やはり異国では安全第一だという考えも捨てないでいた。女性は特に、絶対に後者の考えを捨てないでください。

駅を出たところにあるEURO PARKという名のちょっとしたショッピングモールを少しうろうろしてから、夜に食べるパンと水を買った。今回の旅行の最初から最後まで、炭酸水が多いなという感覚と、サイズもデケェよという感覚は両方とも消えることはなかった。

 

その夜、初めての海外旅行を少し思い返す。親切な人もいたし、そうでもない人もいた。子ども達は、わりとジロジロこっちを見てくるが、全体的には外国人が珍しい時代は終わったのだろう。

日本人も見かけるし、だから日本語も聞こえるし、そもそも現代にはスマートフォンだとかiPodだとかがあるから、自分で努力しなければ完全に日本と隔絶することはありえなさそうだ。それでも「異国」というだけで普段とは違うことを考えたり感じたりすることは多く、私はそこにロマンを感じる。

ちなみに、ドイツ語圏だからか英語がけっこう通じなかったのが驚きだった。そこで翌年度、私は大学の授業でドイツ語をとってみたが、いま覚えているのは自分の名前と自分の出身、数字の言い方と、そのつづりだけだ。

 

3月4日、10時頃にブダペスト空港を立ち、ヘルシンキ空港で乗り継ぎをする。ヘルシンキは、行きの日よりも天気が悪いようだ。とても寒い。外はマイナス6度らしい。雪のようなものも横なぐりに降っているし、飛行機は飛ぶのかなぁと思っていた。搭乗口の前では、当然ながら日本人ばかりだ。ついさっきまで外国語に囲まれていたのに、とても変な感じがする。17時前、飛行機は無事に飛び立った。

機内でゴルフゲームに興じていたのだが、ちょっと疲れたし一旦やめようと思って「Do you really want to quit?」と聞かれた画面に対して「はい、私は本当にやめたいです」とひとり呟きながら(隣の人は寝ていた、というか飛行機のエンジン音で聞こえないです、大丈夫)「YES」のボタンを押したら、突然画面がグチャグチャになってそのまま元に戻らなくなった。私の周りの機械はいつもそうである。もう、自分がなにかネガティブな電磁波を放出しているとしか思えない。

自慢じゃないが、離陸直後にはイヤホンの右耳が聞こえなくて交換してもらったばかりである。しかしともかく、私の電磁波は飛行機にまでは影響を及ぼさなかったようで、無事に関西国際空港に着陸した。3月5日の午前9時ごろだったろうか。

長いフライトの疲れから、添乗員さんへの挨拶もそこそこに帰宅した。これでもう、素敵な思い出だけに囲まれた初めての海外旅行の記憶が残るぞと胸を張って日常に戻っていったが翌月、セレッソ大阪の試合を観戦しようと5万人収容の長居スタジアムに赴くと、斜め後ろにチェココルナを貸してくれた例の女の子がユニフォームを着て応援しに来ていた。

私は試合中もハーフタイムも、一度も後ろを振り向くことなく全力でセレッソを応援し、その甲斐もありセレッソは勝利した。

ちょうどその頃には、次の夏休みにイギリス旅行に行くことが決まっていた。今度は友人とのふたり旅だ。