月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その2-2(ロンドン)

さて、いよいよ観光開始である。初日の今日は、スタジアムツアー2ヵ所とグリニッジ天文台だ。まずはスタンフォード・ブリッジスタジアムに向かう。前年に「ヨーロッパ最強クラブチーム」の栄冠を手にしたチェルシーのホームスタジアムだ。天気が悪くないといいが。

と、一歩ホテルを出ると青空が広がっている。白い雲も点在し、時折吹く風は柔らかでちょうど涼しい。すばらしい天気だ。街頭にはブーケのような花々が飾られており、町全体で夏を、晴天を祝っているようだ。すっかり気分は高揚する。スタジアムツアーへの期待が高まる。

例のTubeに乗っていくわけだが、かなり近かった。Hammersmithから少し電車に乗って、駅を降りて5分ぐらい歩けば到着する。しかも、どちらかといえば狭いような道、普通の住宅もあれば学校のような建物もある道沿いに突然現れる。

スタジアムは大きくて、改めてイングランドのサッカーの歴史を感じさせられた。日本サッカーもここまで急成長を遂げたといってもかまわないだろうと思うが、やはりそれをよせつけない「サッカー母国」としての草の根のサッカー人気を肌で感じることができた。そうだ、ここではサッカーではなく、フットボールと言わねば。

ツアーでは、ふだんなら入れないロッカールームや監督席、ベンチ、入場ゲート、プレスルーム(監督や選手が試合後に記者たちの質問に答えるところ)に入ることができる。ロッカールームには選手のユニフォームがかかっており、写真を撮ることもできる。私たちのような若者も、もっと幼い少年もその親も、みんなが目を輝かせて歩き回っている。サッカーがやはり最高なのだと確信する。

ピッチと観戦席は本当に近い。ここを満員の観客が埋めて、選手と顔を突き合わせるぐらいの距離で声を張り上げこぶしを突き上げ、チームのために応援するのだ。そしてこのスタジアムは何百、何千万人もの歓喜、怒号、期待と失意、そのすべてを飲み込み、伝統という名の下でそのすべてを染みつけているのだ。ぞくぞくが止まらない。

強く、美しく、気高く思われたこのスタジアムだが、ホームチーム用のロッカールームとアウェイチーム用のロッカールームの設備や清潔さにものすごい差が見られ、少し「せこいな」と感じた点は否めなかった。

ヨーロッパの係員関係の人たち相手に、愛想というものを感じたことはほとんどなかったが、ここのツアーガイドさんは愛想が良くて嬉しくなった。肝心の何をしゃべっているのか、はわからなかったが。

ツアーが終わり、次の目的地であるウェンブリースタジアムへ行くまで少し時間があったのでグッズショップを見て(当然いろいろ買った)、なにげなくスタジアムの外周をぐるっと回ってみた。過去にリーグ戦やカップ戦で優勝したときの選手たちの写真や、サポーターたちの写真もある。そして、ふと見てみるとチケットオフィスがある。2日後にリーグ戦第2節がここで行われるのだ。

私たちふたりは色めきたった。そんなこと、考えもしなかった。イングランドに来て、スタジアムツアーをして帰る。それで十分だと思っていた。しかしそれは、試合は見なくてもよいということでは断じてない。もしそう思う者がいるなら、私はその者の浅はかさを向こう10年は笑う。サッカー好きがイングランドに来て、サッカー観戦できるチャンスを前にして、無感動でいるはずがない。It can’t beだ。

しかし私たちは色めきたつと同時に迷った。安くてピッチに近い席はすでに売り切れており、チケットは1枚75ユーロ、1万円以上するのだ。どうしよう、どうしよう。さすがに悩んだ。

だが、生で観戦する誘惑を振り切ることはできなかった。私たちはチケットを買い、グッズも買っており、財布の紐のゴムは切れていた。ユルユルのブカブカだ。チェルシーのパトロンだ。私は、これ以降のスタジアムでは気を引き締めていこうと思ったが、もう片方の彼にはその意思はあまりないように見受けられた。

ともあれ、ホクホク気分でスタジアムを後にした私たちは再びTubeに乗って、サッカーの聖地のひとつであるウェンブリースタジアムへ向かった。

電車のいすや、ホームのベンチにやたら新聞が捨てて(置いて)ある。私たちは読ませてもらえるのでありがたいが、どの段階で誰の手で正式に捨てられるのかが気になった。

ウェンブリースタジアムは、最寄りの駅から一直線だ。スタジアムは先にも増して大きく、それゆえ駅からすぐ近くのような印象を受けるが、意外と歩かねばならない。10分か15分は歩いたと思う。

大きいはずである。9万人入るらしい。赤い座席に緑の芝生が良く映える。ここはサッカー選手にとっての聖地のひとつに数えられるスタジアムだ。イングランド代表のホームスタジアムだが、特にどのチームのホームスタジアムとは定まっていない。ロッカールームには世界各国のビッグプレイヤーたちのユニフォームがかかっていた。

また、ヨーロッパ最強のクラブチームを決めるUEFAチャンピオンズリーグの歴史を学ぶことができ、先ほどとは一味違ったおもしろさがあった。スタンフォードブリッジには強さを感じたが、このウェンブリースタジアムには華麗さを感じた。

 

さて、今日のスタジアムツアーはこれでおしまい。グリニッジ天文台に行こう。その前にロンドンブリッジに寄ってみた。橋を訪れる明確なモチベーションなかったが、「ロンドン橋」みたいな歌がなかっただろうか。なかったか、そうか。とにかく急ぐ理由もないので行ってみた。

ロンドンブリッジの下には茶色のテムズ川が流れている。特に観光客でごった返しているわけではなかったが、人通りは多かった。このあたりが繁華なのかもしれない。中欧を旅行したときにも感じたが、川が流れている町はなんだか素敵だと感じる。周りには工事現場らしい足場や重機が見え、朴訥としたイメージを湧かせる茶色のテムズ川だが、ここはやはり大都会ロンドンなのだ。

近くでお化け屋敷のような催しを行なっているようで、血だらけのコスプレをした人たちが宣伝していた。

この日は長袖2枚だと汗ばむ陽気だった。のども渇く。フレッシュジュースを売っている屋台があったので、そこでジュースを頼んでしばし休憩した。海外旅行というのは歩き通しになるので本当に疲れる。

さて、ではグリニッジに行こう。どうやって行くのだろう。せっかくだし行こうかというぐらいの、あまり高くないモチベーションで行くことに決めたグリニッジだが、超有名スポットだし誰かが教えてくれる、下調べは別に必要なかろうと思い、特に何も調べていかなかった。

結論から先に述べると、グリニッジ天文台にはたどり着けなかった。そこへの行き方が簡単なのか難しいのか知らないが、とにかくたどり着けなかった。

聞く人聞く人、聞く係員聞く係員、全然教えてくれない。なんとかインフォメーションセンターで答えを導き出した私たちは、言われたとおりのホームから電車に乗った。その電車ではおそらく大半の人たちが指定席に座っているように思われ、空いている座席はない。私たちは「なんかこれはちょっと違う気がする」という思いを抱えながら、座りたいなと思いつつ車窓を眺めていた。

なんか違う、という点では案の定、しかし思いの外だったのは、その電車は全然止まってくれない。指定席に座って、パソコンをいじったりおしゃべりに興じている人たちから推測するに、この列車は特急なのだろうが、猛スピードで走り、駅が見えてもそんなもの知ったことかとばかりにぶっ飛ばす。

私たちとしては、「すみません、ちゃんと調べてこなかった僕たちが悪かったです、とりあえず行っとくか、っていう適当なモチベーションでグリニッジに行こうとして申し訳なかったです、謝るから、だからとにかく下ろしてください、ロンドンに帰りたいです」という無力感でいっぱいなのに、列車は無慈悲にも走り続ける。

時々表示される、停車駅の名前をグッと見つめ、私の持っている簡単なイギリス全体の主要駅が載っている地図と照らし合わせる。やっと見つけた。

どうやらこの列車に乗り続けていると、ドーバー海峡一歩手前まで行くらしい。私たちはそんなに悪いことをしたのだろうか。弱いモチベーションでグリニッジ天文台を目指しただけで、ロンドン観光中にもかかわらず国境付近まで流されなくてはいけないのだろうか。

「なんかもう、いつ止まるんだろう」と思い始めた頃、やっと駅に停車した。当然グリニッジなんかではなく、ロンドンと比べるとものすごい田舎にたどり着いた。駅の名前は、Sevenoaksといった。

列車を降りると同時に反対方向のホームに向かった。幸い、あまり時間が空かずに列車がやってきたので、それに乗り込む。

今回は席が空いていたので、座って車窓を楽しむ。もうグリニッジはいいよな、と言いながら、今は17時だ。

と、駅員さんがやってきて、なにか言っている。たぶん切符だろう。準備できていなくてものすごくしどろもどろになったが、ロンドンから間違ってここまで来てしまって、改札は抜けていないから料金は払わなくていいよね、と必死に訴えた。

こちらの論理が通用するかはわからず、そもそも自分たちの発している英語が通じているかも知れたものではない。ちょうどさっき、無賃乗車には非常に高額な罰金が科せられるというお知らせを読んでいたのでそれが脳裏にちらつく。駅員はいろいろ質問してくる。切符は持ってないのか、と言う。

持っていない、でもOysterで、ロンドンからの列車の分は支払った。私たちはボロボロになりながら訴えて、なんとか許してもらえたようだった。埒が明かないと思われたのか、納得されたのか、優しさからか、わからないがとにかくその場を乗り切り、ロンドンまで戻ってきたときはさすがにほっとした。間違った郊外電車に乗っていた私たちだったが、車窓からはこじんまりとしたかわいらしい町並みや、何もない野原が広がっているのが見えた。

Hammersmithまで無事に帰り着く。この駅は、小さなショッピングモールのようになっており、スーパーもあれば飲食店、靴や文房具、お菓子など一通りの店が入っている。夕食は、そのうちのマクドナルドで済ませた。安さを求めたわけではなかったが、朝もたっぷり食べたわけではなかったし、昼は、出掛けに買っておいたパンを少ししか食べていない。ここなら簡単に、レストランに入るよりは安くお腹を満たせるだろうと思った。

構内には寿司屋があり、明日の夕食はここにしようと決めてホテルに帰った。ちなみに私は寿司が好きではない、というか、生魚は食べられない。