月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その2-6(ロンドン、エディンバラ)

この列車はブリテン島の東側を走って北上、エディンバラに向かう。途中からは海岸沿いを走り、ヨークやニューカッスルにも停まる。

車窓からは想像していた通り、しかし規模は想像以上の耕地が広がっている。家はポツポツとしか建っていない。一体誰がこれだけの土地を、どうやって区切って管理しているんだろう。

列車が進むにつれて雲も切れ始め、ついには青空が広がった。草原に馬が寝そべり、その小屋があり、羊もいる・・・。高い建物は見当たらない。そもそも建物がほとんど存在しない。電線を中継する鉄塔だけが所々に立っている。こんなに高く青く、そしてどこまでもつながっていると感じられる空は久しぶりだった。

車内は少しひんやりして、空の高さは秋を思い起こさせる。のどかで平和でノスタルジックな列車の旅であった。

ニューカッスルを出て1時間半もすると、海が見えるほど海岸ギリギリを列車が走る。そのあたりではときどき木々が生い茂っている。その木々は均一な高さで立ち並んでいて少し奇妙だった。風の影響とかだろうか。

そして突然の濃霧。それもしばらくすると晴れて、今は丘陵地帯を走っていることがわかる。そこを走っているとき、私は不思議な感覚に襲われた。平衡感覚がないというか重力の向いている方向が分からないというか、普通に座っていることが不快に感じたのだ。列車は右に傾いているのに座席は左に傾いているように感じた(列車が傾いていようものなら大事故である)。

その感覚が疲れから来るのか、濃霧で一時的に視界を奪われたためなのか、後ろ向きの座席に座っていたからなのか、偶然の錯覚なのか、詳しいことは分からない。ただ、あと少しでエディンバラに到着するというタイミングで自分が酔っている事に気付いて苦しかった。

列車を降りてもしばらくフラフラしていたが、恩師がすぐに僕らを見つけてくれ、異国で2年ぶりの再会をし、恩師の誕生日パーティー会場へ連れてってくれ(私たちのせいで待ち合わせ時間ギリギリらしく、駆けずり回った感も強かった)、立て続けにいろいろなことが起きたので休む暇もなく、休ませてくれとも言い出せず、その日の夜は幻を見ているような気分だった。だから、ここからは私の幻を思い出していこうと思う。

 

まず列車を降りて、恩師と再会。が、あいさつもそこそこに「待ち合わせの時間があって急ぐからね、大丈夫ね」と(ノーって言えないよね、先生)という私たちふたりの心の声を置き去りに、恩師は私たちの先をぐいぐい歩いた。恩師の横に誰か女の人がいたが、それを尋ねる余裕もなかった。

エディンバラは坂が多い。疲労、荷物の重み、そして乗り物酔い。俺は今日ここでぶっ倒れるかもしれないと思った。

私たちには大きい荷物があったので、まずはそれを置くために恩師の住んでいる寮に向かった。恩師の隣の隣の部屋が空いていて、そこを使わせてもらえることになったのだ。寮にはタクシーで向かう。お世辞や贔屓目ではなく美人の恩師が(しかも若い)毅然と英語を話し、目的地まで誘導し、ドライバーにお金を渡して釣りはとっとけと言っている姿には改めて尊敬の念が湧いた。

部屋について荷物を置いてちょっと一服・・・できるはずもなく、恩師からはこんな奇怪な質問が飛び出した。「あんたたちスーツなんか持ってないよね」

恩師は私たちが漫才コンビを組んで、その営業か何かでイギリスに来たと思っているんだろうか。

「持ってないです」と答えたが、もちろんその恩師の質問にも意味があって、今日恩師が友人から招待された誕生日パーティーはドレスコードということになっているという。

私たちは段々恐縮してきた。だって、恩師の誕生日パーティーである。そこに、元生徒とはいえ年齢不詳の男ふたりが突然入っていって大丈夫なんだろうか。

しかし、「まぁあんたたちなら大丈夫だわ」という、「なら」の後に続く理由を示す文章が気になる恩師の発言と共に私たちはスーツの着用が免除され、その代わりにロンドンで買った各々お気に入りのチームのユニフォームを着て、その上に持ってきた上着を羽織り、寒いよという恩師の忠告を受けて私はマフラーも装着して出発した。ドレス・・・と思った。

 

そしてあっという間に再び出かける。名門エディンバラ大学のキャンパスを抜け、待ち合わせ場所へ。そこには西洋人のお兄さんとお姉さんたちが立っていた。

このスピード感。さっきまで車窓から馬と羊しか見えていなかったのに、今は見知らぬ外国人と自己紹介をしている。

さらりと自己紹介を終え、予約してあるレストランに向かう。この時期のエディンバラはサマーフェスティバル期間真っ最中で、街には大変活気がある。1ヶ月間は眠らない街になるそうだ。

キャンパス内にも飲み屋があってバーがあって、至る所に催し物の宣伝ビラが貼ってある。芝生も多くて、広いキャンパスだ。

この日は非常に霧が濃くて、そしてたしかに寒かった。その霧のせいで風景が夢幻的に広がり、霧の中にそびえる校舎はホグワーツ城のようだった。マフラーをしていても寒いのに、半そで1枚やタンクトップ1枚で過ごしている人間もいて、神経のどこかが狂っているとしか思えない。

恩師のバースデーパーティーを企画した彼らは私たちにも優しく接してくれた。かれれはそれなりにフォーマルな格好をしているのに、サッカーのユニフォームというふざけた格好をしている私たちを蔑む人はひとりもいなかったし、私たちが大学生だと知ると、私たちが何をしているのか、あるいは彼らが何をしているのかについて話してくれた。

夢半ばで食べて話したパーティーも終わり、キャンパス内で行われているサマーフェストに行くことになった。私たちふたりとしては、もう方向感覚も分からず、何が正しいのかも分からず、されるがままになっていた。ましてや、恩師の横にいたのは経産省に勤めているとか、そこから今はエディンバラに派遣されているとかで、私たちのあらゆる物事への判断能力は風前の灯であった。

パーティーに参加していたうちの数人は家に帰り、何人かでキャンパスに向かった。経産省の彼女もいなくなった。

キャンパスにはバーが固まっている区画がいくつかあり、そのひとつに座ったが、恩師は「見たいショーがある。1時間もすれば戻ってくるから」と言って数人の友人と一緒に、私たちふたりと恩師の友人ふたりを残して軽やかに去っていった。

恩師の友人ふたりのうちの一人は日本人だった。もうひとりはイギリスかアメリカかカナダ出身だった。イギリスかアメリカかカナダ出身の彼は理系で、私にはよく分からなかったがとにかくプログラミング系のことをしているようで、自身のホームページを見せてくれたりもした。その一方でサークルか何かの団体で演劇もやっているようだった。4人だけ残されることになったとき彼は明らかに困惑していたが、それでも優しく振舞ってくれた。感謝してもしきれない。

たしかに1時間ほどして恩師は帰ってきた。ショーは良かったらしい。それは良かった。私はもう、自分の感情がわからなくなっていて、ただ今の状況に興奮していることだけは把握できていた。

夢と幻のエディンバラ初日はこうして終演した。