月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その2-7(エディンバラ)

翌朝も引き続き恩師に連れられて、まず朝食を食べに出た。

その名も「エレファントハウス」。J・K・ローリングがここでハリーポッターを書いていたという話である。私はこの店で初めてキッシュというものを目にした。名前は聞いたことがあって、一度食べてみたかった。なるほど、お惣菜系のパイだな、おいしい。いま一度確認するが、もちろん私は庶民の家の子である。

昨日とはまた別の恩師の友人も同席した。彼女はここで現地男性と結婚し、働いているそうだが、この方もまた一癖もふた癖もあった。ネコと話す節があって、そのくせペンギンがやたらに好きだという。ペンギンの被り物も持っていると聞いた。

恩師は一体ここで何の勉強をしているのだろう。

 

食事が終わり、外に出る。サマーフェスティバル期間だけあって、朝からにぎわっている。

エディンバラはスコットランドの首都だが、スコットランドといえばタータンチェックのスカート、そしてバグパイプだ。まさにその民族衣装を着てバグパイプを路上で演奏している人もいる。おみやげ屋さんには、所狭しとタータンチェックグッズが並ぶ。

私たちふたりはエディンバラ城を登る。恩師はエディンバラ上の入口まで案内してくれたあと、「アタシはここで待ってるから。また40分後ぐらいに降りてきて」と言った。何人かを案内しているうちにいいかげん飽きたらしい。

その気持ちはよくわかるが、そのことを婉曲表現なくそのまま伝える恩師は高校時代と変わらないなと思った。

エディンバラ城は断崖に立っていてかっこいい。上からはもちろんエディンバラ市内を見渡せる。色彩はさほど豊かではない。茶色が多い街だ。しかし、サマーフェスティバルの雰囲気か、それに誘われてやってきた人々の活気か、あるいはエディンバラという街そのものが持つ力強さか、あるいはその全てなのだろうが、色彩の単調さとは裏腹に刺激的な街に思えた。待ち合わせ時間の都合で入れなかったが、敷地内にはミュージアムもあったので、もう一度訪れたいなと思う。

エディンバラ城を下りて少し歩く。様々な路上パフォーマンスが繰り広げられており、人が集まっているところの賑わいはなかなかだ。

非常に上手いアコースティックギター奏者がおり、手売りのCDを一枚買った。ちなみに、売っているのは彼の母親だった。何せ上手で表現豊かなので、このCDは今でもよく聴いている。

おみやげの主流はタータンチェックだが、ここはウイスキーでも有名な土地だ。サイズや種類、いろいろなものが売られている。

経済学の父アダム・スミスの像を見、イギリス4地方の聖人のひとり(らしい)聖ジャイルズ教会に入った。教会内のステンドグラスは緻密、精密で美しかった。

教会を訪れたあとは恩師御用達のカフェに入る。かわいらしいお皿やカップが飾られたオシャレな場所だった。こういう場所に毎日のように通って団欒する時間を持つことが文化のひとつとして一般に認められているのなら、カフェ文化はこの上なく素晴らしい。

 

カフェを出るとポツポツと雨が降り出した。朝から曇っていたし、やはりイギリスの天気は本来こんなものなのかもしれない。

今から向かうは宮殿だが、城を降りてここに来るまで、そして宮殿に到着するまで一度も曲がっていない。一本道なのだ。それはもちろん、王様が城から宮殿までスムーズに移動できるようにするためである。ただし、一本道だが坂が多い。そして、坂が多いのはエディンバラという街全体に言える。

宮殿内には「ブラッディ・メアリ」の異名を持つメアリ女王の肖像画があって、宮殿自体も厳かなたたずまいをしていたが、私は宮殿の横に立つ廃墟の修道院のほうが気に入った。この廃墟にとりたてて注目すべきものもないように思われるが、壁の崩れ方、柱のひとつひとつが私の琴線に触れたとしか言いようがない。何か特別な説明があったとか装飾があったとかではないのだが、その修道院の持つ空気が私の心を当時に馳せさせたということだと思う。門部分の装飾の周りがネットで覆われていた。おそらく、欠片の落下防止だろう。

この修道院も、宮殿さえも華美な色使いをしていない。それは、建造物が石で組まれてその色のままだからだ。エディンバラ城から見たのと同じ茶、あるいは灰色である。

 

そのあとは駅の方面まで歩く。幻から一夜明け、エディンバラの中央駅とは久しぶりのご対面である。結局、私はエディンバラ市内の位置関係を全く把握することなく今に至っているのだが、とにかく駅の近くに非常に高い教会があり、その高さはエディンバラ城を見下ろすほどである。そしてそこを階段で登れるということで、私たちふたりは恩師に連れられていったというわけだ。

先ほどと同じように「じゃあアンタたちいってらっしゃーい」と軽やかに手を振る恩師だったが、展望階段入口で切符をチェックするおじさんはそんな恩師を目ざとく見つけ、「あの子は登らないのかい? あれはお友だちじゃないのかい? お姉ちゃんかい?」という、あんたはそんなに女性を喜ばせたいか発言をしたのはたいへん結構だった。私たちは爆笑、恩師は赤面である。きちんと「ベストティーチャーです」とおじさんには伝えておいた。

階段はとても狭くて、譲り合わなければすれ違えない。途中も何度か展望台になっており、一番上まで登るとそれはそれは素晴らしい眺望だったが、下を見るとかなり足がすくむレベルである。断崖上に立つエディンバラ城の全貌もはっきりと見え、満足して今度は階段を下りていく。

時間の問題なのかほとんど人がおらず、これから人が登ってきそうな気配もなく、開放感に満たされた私たちは脈絡なくうたを歌いながら階段を下りていった。童謡からJポップまで幅広く歌っていたが、大塚愛の「さくらんぼ」を歌っている最中に日本人の女性が登ってきたのはもちろん誤算だった。

景色を楽しみにしながら階段を登る時間よりも、ただ階段を下りる時間のほうが長く感じられるのは世の常である。歌うことにも飽き、螺旋階段に酔い、まだ地上に着かないのかと考え始めてやっと戻ってくる。入口のおじさんと意味ありげな笑みを交わし、恩師の元に戻る。今や平静を装っている恩師はさすが、大人の女性である。

そのあとはCODAというCDショップに立ち寄った。小さなところだが、しばしば宣伝を兼ねてミニライヴも行われたりする有名な場所らしい。実際にこの日も、私たちが店に入った瞬間にギターの演奏が終わって奏者が拍手を受けていた。この店でミニライヴが行われることの真偽、この日もライヴがあったという事実だけは私たちにも確認できた。

そして夕食。エディンバラ版忠犬ハチ公「ボビー」像の前にあるボビー・ハウスというお店に連れて行ってもらった。金色の鼻をしたむく毛のボビーの銅像。お店の看板には黒地に金色で「BOBBY」と書かれており、内装はスタイリッシュさと重厚感を兼ね備えていた。

おいしい食事を終え、最後は三人で大学キャンパスに戻る。キャンパス内は今日も多くの人でにぎわっている。そのうちの一軒のバーに入って、数時間いろいろな話をした。

20歳にもなっていない私たちの話をきちんと聞いてくれ、励ましやアドバイスをしてくれる恩師は、やはり「お友だち」でも「お姉ちゃん」でもなく、「恩師」であった。

それはもちろんありがたく嬉しいことだったが、私たちふたりが高校時代からまだまだ抜け切れていないことや、それゆえまだまだ大人への成長の伸びしろがあることを示していた。その意味で、この旅行、あるいはこの夜は10代最後の年の出来事として非常に重要な転換点とも言えるものだったと、今でも強く思う。