月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その4‐3(パリ、レンヌ、モン・サン・ミッシェル)

それから5時間ほどして目覚める。素早く身支度をしてチェックアウトだ。大きなかばんを持って階段をゴトゴトやって来るのに気付いたのか、途中から例のオッサンが出てきて(夜勤だったのか・・・)荷物を持ってくれた。

「どこに行くの」と聞かれ「モンパルナス駅だ」と答えると、「それなら近い。ブロック4つ分だから。いいかい、ワン、ツー、スリー、クアトロだよ」と惜しいところでの英語未遂であった。英語が達者でないだけで、非常に良い人であったことに間違いない。温かい気持ちになりながら、いよいよ今日から本格的にフランス観光が始まる。今から向かうは世界遺産モン・サン・ミッシェルだ。

 

さすがに日曜の早朝は人が少ない。プジョーのパトカーが一台走っていて、映画『トランスポーター』のワンシーンが頭をよぎった。モンパルナス駅構内への正しい入口はよくわからなかったが、まだ車も少ないし駅地下駐車場から入っていった。

閑散としていた構内にも7時半あたりから人が増え始めた。

 

TGVは20両ほどで編成されていた。立派な長距離列車であるにもかかわらず英語の説明書きなどは特に見当たらない。車内放送もフランス語のみである。

フランス人は傲慢にもフランス語が世界で一番美しいと思っているという噂を聞いたことがあるが、フランス語が美しいという点は否めないと思う。車内でウトウトしながら周りから小声で聞こえてくるフランス語の独特の響きたちは幻想的でさえあった。

とはいえ、フランス語のみで語られた謎の車内放送の後、列車が3、40分止まった件に関しては、英語でも説明してほしかったと思う。

通り過ぎる町は白い壁に黒い屋根を施した家々と、それらよりも少し高い教会らしき建物で構成され、ずいぶん前の時代からこの景色は変わっていないんじゃないかと感じてしまう。

いくつかの駅に停まりつつ3時間ほど走って、私の降りるレンヌ駅に停車する。ここでバスに乗り換えてモン・サン・ミッシェルに行くということだ。

バスの出発まで少し時間があったので、駅にあるパン屋で昼食を買っておく。駅は1階がチケット売り場やホームへの連絡通路になっていて、2階は待合場といくつかの飲食店が並んでいた。

再びバス乗り場に戻ると日本人の女の子が何組か待っており、その光景は1年半前のチェスキークルムロフでの惨劇を思い出させた。

 

80分ほどバスに揺られる。最初の2、30分は町を通り抜けるが、やがて景色は牛と牧草地にくすんだ色合いの建物がまばらに立つ牧歌的なものとなる。牧歌的な風景を通り抜け通り抜け、ふと気がつくと、かの修道院が見えてくる。そして牧歌的な風景をついに抜け切らぬまま、モン・サン・ミッシェルのバス停に到着だ。

ここから歩けば4、50分で、無料のシャトルバスを使えば10分もかからずに修道院のすぐふもとまで行ける。しかし私は大きなかばんを持っているので、まずはそれを預けたい。歩いて2キロほどに位置するホテルを予約しており、そこまで歩くことになる。

想像と違って、何もない。やはりここにも牛がいて羊もいて、牧草地が広がって、その後ろにモン・サン・ミッシェルがどーんと控えているのだ。かなりシュールな光景である。シュールはいいが、観光ルートから少し外れたらほとんど人はいないし、いたとしても車だし、だから歩道もなくて歩きづらいし、予想外なことだらけだった。

ホテルの姿もよく見当たらない。道を間違えようにも、東(東に2キロほど歩けばホテルがある)に続く道はこのあたりにはこの一本しかないのだが、数軒のレストランを右手に見ながら左手にはモン・サン・ミッシェル、の前に牛と馬がいるのだから正しさがわからなくなってくる。

不安に駆られつつなおも歩き続けると、たしかにそのホテルはあった。荷物だけを預けて休む暇もなく本丸へ向かう。

ここから今度は3、40分ほど歩く。今日はよく晴れていて、いい景色だ。

一昔前までは干潮時にしか渡れなかったモン・サン・ミッシェルへも、今は橋がかかったおかげで潮目を気にせず行き来できる。正直なところ、修道院が高く大きいので遠くから見てもあまり距離を感じないが、実際に歩くと案外時間がかかる。しかし、無料シャトルのバス停には戻らずに、モン・サン・ミッシェルまで歩いてたどり着くと決めてしまった数十分前の自分自身をなじりながら、今はひたすら歩くしかない。

横を見ると、有料の馬車が優雅な観光客を乗せてゆっくりゆっくり歩いてくる。騎手も含めると人間を3人も引っ張りながらゆっくりゆっくり歩いている馬にも私は追い抜かれ、そこで私は開き直って今までよりもゆっくりゆっくり歩くことにした。

私と同じように歩いて橋を渡っている人も多くいる。家族連れや恋人同士、友達同士でしゃべったり記念写真を撮ったりお菓子を食べたりしながら楽しそうに歩いており、私のようにひとりで勝手に消耗しながら歩いている人間は特に見当たらなかった。

 

数百年前の巡礼者もかくあらんとばかりの感慨に浸りながら、ついにモン・サン・ミッシェルにたどり着く。さすがにたくさんの観光客がいて、何よりも日本人観光客の数に驚く。いるわいるわ、至る所にいる。これほどに老若男女、色とりどりの日本人観光客と日本語に遭遇したのは初めてである。

彼らのほとんどはツアー客のようで固まって動いているようだった。その横をひとりでスルリと抜けていくときほど、私を私と感じて、私の人生は私のものだと感じたことはなかった。私にはガイドがおらず、私は自由に動き回って景色を堪能できる代わりに、モン・サン・ミッシェルを訪ねるからには知っておきたい知識や情報を得られぬままにここを去るのだ。私にしか見られない景色がある代わりに、彼らの目にこそ焼き付けられる風景があるのだ。

修道院につながる石畳の道は狭く、その両側にはレストランやおみやげ屋さんがずらりと並び、多国籍の観光客でごった返していた。

要塞としても使われたことがあるというこのモン・サン・ミッシェルは道が入り組んでおり、観光客は階段を上ったり下りたりしながら移動することになる。少し体力が必要だが、いろいろな角度から下の景色を見られるのは楽しい。

ずいぶんと上ったところで、修道院入口となる。修道院の内部見学だけでなく、そこから眺める景色が最大のポイントだ。9ユーロを払って、また階段を上る。

建設の完了は20世紀だが、建設を始めたのは10世紀にまで遡るというモン・サン・ミッシェルの修道院。コケの生えた石造りの修道院からのぞく青空は重ねた時間の分だけ味わい深くくすんで見え、修道院に降り注ぐ光は経てきた時間の分だけ丸みを帯びて私を照らした。

修道院の頂上からの眺めは圧巻だった。見下ろすと足がすくむほどの高さ。周りを見渡しても高い建造物はこれしかなく、そもそも何かと比較をせずとも単純に高い。私がヒーヒー言いながら歩いてきて、そして新たな観光客たちをも導く橋が見え、観光客を乗せた無料のシャトルバスと有料の馬車が見え、その向こうには牧草地と点在する茶色い家々が見える。視界をさえぎる山もなく、小高い丘の上には青空と白い雲がある。

そちらとは反対方面を見れば、ただひたすらに海が見える。正確には、モン・サン・ミッシェル周辺は沼地になっていて、そこから段々と海になる。この景色の先をどこまでもどこまでも進めば、いつかは大西洋になる。飽きることなく眺め続けられる景色だった。

ゆっくりと景色を堪能し、修道院の内部に入り、ときに空を見上げ、日陰に生える何気ない雑草に思いを馳せ、ゆっくり修道院を後にした。

美人なお姉さんのいる売店で3ユーロのソフトクリームを買って、日が暮れないうちにホテルまで帰る。今回は途中まで無料リムジンバスに乗っていった。車はとても速かった。二足歩行の速度など遠く及ばない。

牛を横目に見ながら、夕日に照らされるモン・サン・ミッシェルもなかなか悪くないと思った。