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月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その4‐4(モン・サン・ミッシェル、パリ)

11月に入ろうとするヨーロッパの朝は遅い。翌日起きたとき、すでに日は昇っていたものの、外ではうっすらともやがかかっていた。もしやと思い外に出てみると、もやに浮かび上がる幻想的なモン・サン・ミッシェルが見えた。それは、もやの中というよりも、もやの上、雲の上に、かの修道院が浮かんでいるようだった。

昨晩、あたりがすっかり暗くなってからホテルの外に出てライトアップされたモン・サン・ミッシェルも見たが、どこか人口感の漂うその風景よりも、朝もやの風景のほうに私は風情を感じた。

 

昼過ぎにここを出てパリに戻るから、まだ2、3時間は観光できる。昨日のうちにある程度歩き尽くした感はあったが、きれいな景色に飽きは来ない。歩き回って、いろいろな角度、高さからの景色を楽しんだ。

今日は月曜日。それにまだ午前だというのに、観光客は多い。そして今日もよく晴れている。周りに高い建物も山もなく、空が広い。濃淡様々な青を飾ったその空は、私の上にあるのではなく、私を包んでいるようだった。

昨日から気になっていた沼地のほうにも下りてみる。泥をはねないように慎重に歩きながら岩場を見つけ、そこに腰掛けて海を見る。先ほどまでの観光客の喧騒から離れ、そこでは凪いだ海とグラデーションのかかった青空だけが静かに私を包んだ。そして私が今見ている地平線、あるいは水平線を、何百年前の敬虔な巡礼者たちもきっと見ていたはずだ。

 

昼過ぎにレンヌ行きのバスに乗り込み、それからTGVに乗車した。パリに到着する頃にはほとんど日が暮れており、夜空色の、しかしうっすらと夕日の残る青空をたくさんの飛行機雲が流星群のように落ちていき、あるいは昇っていく。

 

モンパルナスはやはり大きい駅なのだった。昨日は朝が早かったのであまり実感がなかったが、列車を下りるとお迎えに来ている人や待ち合わせをしている人たちで構内はごった返している。かなり長い距離の動く歩道も設置されている。ここからメトロに乗って新たな宿に向かう。

メトロの乗換えや構内の移動には何度か階段を上り下りせねばならないが、見たところエスカレーターやエレベーターがない。よく探せばあるのかもしれないが、「こっちにエレベーターありますよ」といった類の案内板も見当たらない。体の不自由な人や、地獄のように重い荷物(留学生は20kg以上の荷物を持って入国することも少なくない)を持った人々はどうするんだろう。

また、パリのメトロは駅名をアナウンスしてくれず、ドアも自分でボタンを押して開けなければいけないという情報を聞いていたが、入国初日に乗った車両では駅名をアナウンスしてくれ、ドアも自動で開いた。

そしてこの日、初めて自分でボタンを押してドアを開ける車両に遭遇したのだが、このボタンは車両が完全に停車しなくても作動するようで、私がプラットフォームで待っていると電車がやってきて減速し、もう少しで停車するというところですでにドアがガバッと開いて人々がわらわらと出てきたのは少なからず衝撃的だった。

どうやら押ボタン式ドアの車両では駅名のアナウンスもないようだ。とはいえアナウンスは何を言っているのかわからない。書いてあるアルファベットを正しく発音しているとは到底思えなかったので、車掌さんあるいはアナウンスを録音した誰かは途中でめんどくさくなって、適当にクシュクシュ言っているのだと思う。

この日泊まった宿もなかなかの代物だった。受付はきちんと英語を解する人だったが、6階まで螺旋階段で上らされたうえ、共同トイレは電気がつかず水も流れず紙もないという有様だった。下の階のトイレはまだもう少し機能していたので、初回以降は下の階のトイレを使用した。

この宿もしたたかだなと思ったのは、「紙がないんだけど」と受付に私が訴えると「え、本当に?」「ないんだよ」「そうかい、おかしいなぁ」と彼は言いつつ、後でそのホテルの利用者レビューを見てみると世界各国の人々からの書き込みの7割に「トイレに紙がなかった」と文句を書かれていたことである。

 

翌朝は近所のパン屋でパンを買って朝食にした。したたかなホテルとは一夜限りでお別れ。今日からはスウェーデンに帰るまで一箇所のホテルに連泊する。新たな宿はどうたら移民街にあるらしく、メトロを降りる人も黒人なら外にいる人も黒人ばかりという黒人だらけの地区だった。実は昨晩、トイレの紙がない件のレビューを見たついでにこちらのホテルのレビューもチェックしてみたのだが、ある男性が「妻と幼い娘を連れてきたもののスラムのような場所で云々」と書かれているのを読んだ。

いくばくかの警戒心を持ってやって来た私だったが、意外と大丈夫そうだと判断した。たしかにここは、どちらかといえば貧しい地区なのかもしれないがスラムにしては豊かすぎる。食べ物や服も売っていればスーパーもあり、スマートフォンのセールもしている。それに、女性も普通に歩いている。夜遅くに出歩くのは避けたほうがいいだろうが、それはこの場所に限った話でもなく、私だっていわば移民系の顔立ちになのだからかえって都合がよかった。

重い荷物を預け、いよいよ今日から五日間のパリ観光が始まる。