月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その4‐5(パリ)

まずはメトロに乗ってBastille(バスティーユ)で降りる。言わずと知れたフランス革命勃発の場所だ。バスティーユ広場は車通りの多いロータリーになっていた。すぐそこに新オペラ座(バスティーユ劇場)もあったのだが、そのことをすっかりど忘れしており、そのままアンリ4世通りを抜けてサン・ルイ島に向かった。サン・ルイ島はセーヌ川に浮かぶ小さな島だ。

この日は道の大半を工事していたため歩けるところがあまりなかったが、曇り空の下、茶色く濁ったセーヌ川と、ほど良く色づいた木々の演出するパリのアンニュイは、アンニュイでさえお洒落であった。

それからお次はノートルダム寺院だ。ゴシック様式の代表的建築物として習うノートルダム寺院は、この日もしっかりとがっていた。日本の高校生か中学生らしき集団もおり、恐らく修学旅行なのだろうがどれほど贅沢なのだろう。

説明書きを読んでみると、ノートルダム寺院の建築工事は1163年から始まり、13世紀にはパリナンバーワンの聖堂の地位を手にしていたそうだ。しかし、現在の形になるには19、20世紀までかかったらしい。

寺院内の見学も人気だが、上に上っても景色が良いらしく、たくさんの観光客が列に並んでいた。高いところ好きな私にとってはそそられる話だが、私はモンパルナスタワーに上ると決めている。それにお金もかかる。しかも今日はけっこう寒い。どちらの列にも並ばずに、立派なシャルルマーニュ大帝像がある広場を一旦抜ける。

寺院内には入ろうと考えているが、今は昼前でかなり混雑している。ソルボンヌの異名を持つパリ大学学舎を見てからあとで戻ってくることにした。

道中には全身を金色に塗りたくって身動きしないパフォーマーもいて、テレビでしか見たことがなかったのでまじまじと観察してしまった。中には恐る恐る近づいて一緒に写真を撮ってもらう観光客もいた。別に猛獣でもないし恐れる必要はないのだが、表情ひとつ動かさずただそこに存在する生身の人間に不気味さを感じるのはよくわかる。

UNIVERSITES DE PARISと刻まれた石造りのパリ大学学舎には立派な彫り物がしてあった。非常に横に長い学舎の各所に警備員がいて、どうやら中には入っていけそうになかったのでノートルダム寺院に戻った。

寺院見学は無料だった。入口には各国の言語でWELCOMEなどと書かれており日本語もあったが、なぜか日本語だけ下手くそなひらがなで「ようこそ」とされていた。たぶん、彼らの持っているパソコンでは日本語入力に対応できず、かといってフランスにおける日本文化人気をないがしろにもできず、そんななか救世主のごとくすっくと立ち上がった係員Aが「おれ、日本語教室通ってたで」と言い放って書き上げた逸品なのだろう。誤字も脱字もない。優秀な生徒でしたと先生も喜んでおられるだろう。

院内は今まで訪れた教会や聖堂の中でいちばん大きかった。トマス・アクィナスが教鞭をとっていた頃の絵やジャンヌ・ダルクの像もあった。貴重な資料の所蔵場所でもあるのだ。ちなみにジャンヌ・ダルクは整った顔立ちに彫られていた。

冷たい風の吹く中を列に並んで寺院の上から景色を楽しもうとしている人たちを通り過ぎ、ぶらぶらと歩きつつそれでも寒くなってきたので通りがかりの立派な建物に入った。私の持っている地図に寄れば裁判所・法廷のようだ。入口で税関さながらの手荷物、金属探知機チェックを受け、中に入る。

地上階の奥には裁判の申し込みか手続きをするような窓口があり、階段を上って重い木の扉を開けるといくつかの部屋があり、人が数人行き交っている。真っ黒で厳めしい、衣装のような服を着た彼らは、きっと裁判官なのだろう。私服の人もいる。

完全に野放しにされ、特に前情報も仕入れていない私は所かまわず歩き回り、入っていいのかよくないのかわからない場所にも入りつつ、置いてある物には決して触れず、最終的に裁判が始まりそうなひとつの部屋に入った。

そこには明らかに多くの人が集まっており、裁判官と思しき人やその補佐、書記のような人もいるように見受けられた。書類があちこち行き来し、時々マイクを通してフランス語で何かを言っているがフランス語が全くわからず、それが誰に向けられた発言なのかもわからず、何が今どこでどうなっているのかもわからず、劇的な展開も起きないためいい加減飽き飽きし、15分程度で席を立った。

館内にあるコルベールの半身像だけ撮影して建物を出る。

セーヌ川のほとりを歩くが、どこを歩いても建物のひとつひとつ、空の色、木々の立ち振る舞いにさえパリという名の洗練を感じざるをえなかった。何より曇り空の中を、かすみつつもなお立っているエッフェル塔には独特の存在感と強さがあった。

 

ホテルに戻ってチェックインする。朝はお兄さんが受付に座っていたが、今はおじいさんが座っている。少し聞き取りづらい英語を話し(私だって他人のこと言えないんだろうが)、恐らく自分が覚えている文言以外の英語はからっきしダメなようで、私の質問は基本的に無に帰されていた。

部屋で荷物を開けて、明日の予定を考えているうちにひとつ確認しておきたいことがあったのを思い出した。私はパリ旅行の計画を立てているときに、サッカーのクラブチーム、パリ・サンジェルマンのスタジアムツアーに参加したいと思い、ホームページをのぞいてみると「メール予約は不可、電話で連絡をとってくれ」と書いてあったのでパリに行ってから現地のホテルで電話をしてもらおうと考えていたのだ。

もう一度受付に戻って例のおじいさんにスタジアムツアーについて尋ね、電話をしてくれないか頼むものの一向に要領を得ない。どうやら私が、スタジアムまでの行き方を尋ねていると思い込んでいるらしい。それなら電話することはない、私が教えてやろうとばかりに紙に書いて説明してくれたり、つたない英単語を操って道順を案内しようとしてくれたりする。

こうなると難しい。英語ができないのは彼が悪いわけではない。「ホテルの対応言語:フランス語、英語」と予約サイトに表記してあったのもこの人のせいではない(たぶん)。しかも明らかに善意を感じるからむげにはできない。しかし私が折れるわけにもいかない。

辛抱強く交渉を重ねた結果、何とかスタジアムに電話をしてもらうところまでは漕ぎつけたが、ときすでに遅し、営業時間外となっていた。

仕方がない、とりあえず明日朝一番でスタジアムまで行ってみよう。それよりも英語だ。「フランス人は母語へのプライドが高くて英語を話さない」という風説はよく耳にしたが、それもなきにしもあらずであろうが、「そもそも英語ができない」人も多くいるように感じる。このホテルに限ったことではなく、観光地のいろいろな場所、様々な場面でだ。それは別にかまわない。悪いことではない。フランス人なんだからフランス語を話せればそれでいいにきまっている。ただ。

ホテルの予約サイトで「英語もいけますよ」と銘打っているのなら、せめていちばん英語のできないおじいちゃんをチェックインの時間帯に持ってくるのはやめてほしい。悪口ではないが、なぜか館内はお線香のにおいがした。