月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その4‐6(パリ)

翌朝、地下鉄を乗り継いで10時頃にパリ・サンジェルマンのホームスタジアムであるパルク・デ・プランスを訪ねた。スタジアムは激しく改修工事されており、スタジアムツアーはおろか、おみやげを買うオフィシャルグッズショップさえ望めそうもなかった。一部工事が終了しているところではガラス張りのモダンな外装が見え、スタジアム外周には往年の名プレイヤーたちの大きな写真が貼られている。2015年に工事は完了するらしい。私の1週間の滞在中には間に合いそうもない。

ほとんど意味のないスタジアム訪問となったが、気を取り直してマルシェ(市場)へ向かった。毎週水曜と日曜に催されるマルシェはエッフェル塔からさほど遠くない、とある高架下にある。広くもないスペースに衣料品、玩具、花、アクセサリー、食料品などを広げる様々な露店が出ており、案外多くの人々が行き交っている。私は、ずっと欲しいと思っていた折りたたみ式の財布を5ユーロで購入した。私が持っている財布は長財布でポケットに収まりきらないからというのが理由のひとつ、また、海外旅行をするときに予備、およびフェイク用の財布がもうひとつ必要だと考えていたからだ。

これからエッフェル塔に向かうが、私は昼食にレストランを利用するつもりはないのでここで何か買っていくことにした。パン屋あり、総菜屋あり、少し迷ったが、パン屋はホテルの近くにもあって毎朝世話になっているので、5ユーロ分のパエリアを買ってエッフェル塔で食べることにした。

 

エッフェル塔の近くでは黒人を中心とする移民系の人々が大量のエッフェル塔のミニチュアをジャラジャラさせて売り歩いていた。判を押したように、皆同じミニチュアを手に提げてブラブラ歩いている。売りたい気持ちもなくはないのだろうが、熱意はさほど感じない。そもそも、本当に同じようなものばかり同じ場所で売っていては、そこに商才の入り込む余地はない。運任せだ。誰が買っていくのだろうと思いながら眺めていたら、おもしろいもので何人かが買っていった。空港でも買えそうなこのミニチュアをここで買って荷物を増やす理由はないようにも思うが、正規のお土産屋さんで買うより安いのだろうし、エッフェル塔のミニチュアをエッフェル塔のふもとで買ったのだという事実も重要なのかもしれない。

いよいよエッフェル塔の立つ敷地に入る。さすがにたくさんの人で溢れている。敷地面積だってなかなか大きいのだろうが、それを感じさせないほどの人混みである。エッフェル塔に上ろうと列をなす人がおり、騒ぐ子どもをなだめる親がおり、ベビーカーを押しながらゆっくりと歩く家族がおり、相変わらずミニチュアを売り歩く人がおり、その中で私は腰を下ろしてパエリアを食べた。貝の臭みが抜けきっておらず、いまいちのパエリアだった。

エッフェル塔に関して言うと、19世紀半ばに建てられたことを考えると傑作ともいえるのだろうが、私は建築についてよく知らないし、10分20分も眺めていればそれで十分という感じがした。それでも、飛行機雲の貫く秋晴れの空の下、広場に集まる何千人を見下ろしそびえ立つエッフェル塔には威光が射して見えた。

 

そこからセーヌ川を渡って凱旋門まで行く。道中にPalais de Tokyoなる建物があったので立ち寄ってみた。トイレを借りるついでに立ち寄ってみたものの東京らしさはどこにもなく、首を傾げつつ再び歩き始めると、私が入ったのはPalais de Tokyoの隣にある現代美術館だったことがわかった。私は方向感覚に疎いくせに看板などはあまり見ない。

凱旋門は堂々として素晴らしかったが、私は過去の建造物よりも今を走る交通事情に仰天してしまった。凱旋門の周囲はぐるりとロータリーになっており、そこを大量の自動車、二輪車が「大体」三列で走っている。ここに車線はない。ロータリーなのだから出て行く車あり、入ってくる車あり、双方に道を譲る気があったりなかったりで、とにかく私はここを運転したくない。

凱旋門の真下へ行くには地下通路を通る。階段を下りて廊下を歩くと長い列が見える。何だろうと思っていると、凱旋門の上に上る列だ。観光客はとにかく上りたがる傾向がある。外側から見ているだけではわからなかったが、門の内側や石畳にも装飾がしてあったり何か文句が刻まれていたりする。フランス語で書かれているため何だかさっぱりわからないが、ナポレオンの造ったものだし、戦場に散った勇士や戦場を生き抜いた戦士たちを称えたり慰労したりしているのではないかと勝手に推測した。

そして凱旋門から伸びた数本の大通りのうちで最も有名なのがシャンゼリゼ通りというわけだ。各方面の高級ブティックや有名店がズラリと並ぶこの通り、ファッションに興味のある人間だと一日あっても足りないぐらいなのかもしれないが、そのようなものに取り立てて興味のない私にとっては、そのほとんどがただ通り過ぎる対象だった。せっかくだと思ってルイ・ヴィトンの本店には足を踏み入れたものの、胸にこみ上げる「だからどうした感」に逆らうこともできずに入店して15秒で店を後にした。

私は自動車が好きなので、フランスメーカーのプジョーとルノーの店舗には入った。どちらの店にも往年の名車のフィギュアが飾られたり売られたりしていて非常にわくわくした。

大阪の御堂筋はシャンゼリゼ通りを模倣(あるいは参考に)したという話だが、御堂筋のほうが整然としている気がした。それは日本特有の清潔感がそう感じさせるのかもしれないし、オープンテラスの多さがシャンゼリゼ通りを少し雑多な印象にするのかもしれない。

さらに進んでGrand Palaisという、おそらく美術館では葛飾北斎展が開催されている。道を挟んで向かいにはPetit Palaisがある。大美術館、小美術館ぐらいの意味なのだろう。その両方に非常に凝った彫刻が施されている。大、小美術館を挟んだ道に葛飾北斎展を宣伝する浮世絵ののぼりが立っているところにはなかなか見ごたえがあった。

それにしても、これほどまでにどの建物にも必ずと言っていいほど緻密な彫刻が施されているのを見ると、パリ(フランス)の「麗しき芸術の街、花の都」アピールにただ人々が踊らされているだけなのだという感覚も出てきてしまう。

だって、彫刻なんて絶対に大変な作業である。3ヶ月で建つものもその倍の時間はかかるであろう。費用も時間もかかるそんな作業をフランス人のボランティア精神が支えるはずはなく、仮にフランス人が皆すべからく芸術を愛するのだとしてもそれと労働とは話が別であろうし、となれば、それはもう国策レベルの何かが動かしているとしか考えられない。

そんなわけで、観光客数世界ナンバーワンの座に居座り続けるパリ(フランス)の陰謀について考えをめぐらして歩いていると、クレマンソーとシャルル・ド・ゴールの像が立っているのを見つけた。まぁ、この通りは様々な趣味・興味を持つ人間を満足させられるのではなかろうか。

それを最後に、特にパッとした建物もなく、シャンゼリゼ通りの残りをのんびりと歩いていくと、コンコルド広場に突き当たる。車道は車で覆われている。コンコルド広場に立つ細長い石碑(記念碑?)を見上げ、後ろを振り返ると、ただ一本伸びたシャンゼリゼ通りを車の波がヘッドライトで照らし、その一番後ろに威風堂々と凱旋門が見える。ぼんやりとではあるが確かに存在する凱旋門とそこから伸びるシャンゼリゼ通りを見ていると、フランスの栄華がこの門をくぐり、この道を通ってどこまでも永遠に続いていくのだなぁという妙な感慨に襲われた。

先に述べた記念碑にはアルファベットのほかに古代エジプト文字のようなものも刻まれており、私には何だかさっぱり分からなかった。

そのまままっすぐ歩くとテュイルリー庭園に入る。テュイルリー庭園を抜けるとルーブル美術館があるのだ。庭園には丸池があって、その周りにはたくさんの椅子が置いてある。おそらくは地元民たちがその椅子に座って、何かを読んだりおしゃべりしたりボーっとしたりしてリラックスしている。ここにもたくさんの人がいて、角度次第ではここからエッフェル塔、コンコルド広場、凱旋門を一挙に望むこともできた。

ルーブル美術館内には翌々日訪れるつもりで、この日はこれで切り上げる。メトロに乗ってホテルに戻るが、メトロのインフォメーションブースで男性係員が切羽詰っているところに遭遇した。

ブースには2、3人並んでいて、男は先頭の、中東系の顔立ちをした女性に対応しようとしていたのだが内線か何かで連絡が入ったらしく、突然フランス語で何か勝手にわめき散らして窓口を閉めて出ていってしまった。困ったのは残された女性である。たぶんこの人はフランス語ができないのだが、どうやら券売機で切符を買うために札を小銭に両替してほしかったようなのだ。結局後ろに並んでいたフランス人と思しき女性が親切にもその役を買って出ていたが、インフォメーションセンターには「わからない」人が来るものである。何がわからないのかはその人によっていろいろだろうが、わかる人がわからない人を相手に一方的にシャットダウンしては、わからないほうはただただ非常に困る。もともと困っているのにすげない対応をされると、そこに孤独感や無力感も加算されてとても辛くなる。内線の電話が入っていろいろと状況が面倒くさくなってしまったのかもしれないが(内線を受けたフリをした可能性も捨てきれない)、「そういうのあんまりよくないよ」と感じた出来事だった。