月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その5‐1(ブダペスト、ザグレブ)

二度目のブダペスト。しかし今回は中継地点として訪れるだけだ。2014年の年の瀬、私はスウェーデンから飛行機に乗って、ブダペスト空港に降り立った。前回はツアーだったから、バスに乗っていれば目的地まで連れて行ってもらえたし、ブダペストが最終地点だったからブダペスト市内から空港へ向かった。

しかし今回はその逆で、空港からブダペスト市内へ向かう。空港から市内に入るにはいくつか方法があるようだったが、私が乗った飛行機の航空会社が管理するリムジンバスがあるということで、値段もさほど高くなかったし、それを予約して利用することにした。

ターミナルビルを出て、駐車場までは自力で歩いてそのバスを見つけなければならない。私は地図にしたがって歩いた。時刻は午後5時半。あたりはもうすっかり暗い。そして寒い。そして指定した場所に着いても、バスがいない。おかしい。航空会社のロゴが入ったバスが停まっていてもいいのに、私の周りには一般乗用車が黙って何も言わずに駐車されているだけだ。人っ子一人いない。私は何だかさみしくなった。バスを探すため、日が落ちて冷たい風の吹く無機質な駐車場を歩いて回る私はこのとき初めて、人が孤独を感じるのには寒さと暗さ、その二つだけで十分なのだと知った。

一周歩いて元の場所に戻ると、一台のバンが停まっている。地図によるとここでバスが待機しているはずだったから、このバンが私の乗るべきリムジンバスであって悪いことはない。私が恐る恐る近づいていくと、おばちゃんが車内から降りてきた。薄暗い寒空の下で、私の差し出した予約表を端から端まで眺め、乗りなと言わんばかりに後部座席のドアを開ける。私の持ってきた大きいほうの荷物は、運転席から降りてきたおじさんがトランクに詰め込んだ。

車内には初老の夫婦がすでに座っていた。暗い。

私は、バスと言ったら派手に航空会社の名前がプリントしてある車だと思っていたので、ただの素人中年夫婦がボランティアのように(実際はボランティアではないのだろうが)一台のバンを走らせるというのは意外だった。

車内も、結局私の後に一組のカップルが乗り込んできただけの計5人で、一台のバンからすればスカスカでもなく、かといって満席でもなくといった具合だった。

カーラジオの音と、若年カップル、老夫婦、そして中年夫婦が時折交わす会話の声が聞こえるぐらいで、車内はすこぶる静かだった。私が最も沈黙を貫いた勇者であることは想像に難くないと思う。

 

市内に着いて、地下鉄に乗って今夜の宿の最寄り駅で降りる。そこまではよかったが、肝心の宿探しに手間取り、バス待ちに次ぐ二度目の半泣きの目に遭った。

私が今回予約したのはホテルでもホステルでもなくアパートメントで、誰かの所有しているアパートの一室を借りるということである。私はそれを建物の名前ではなく番地で見つけねばならなかった。しかし私は今までの習慣上、建物の名前を見つけようと努力し続けた。一応建物の名前も、あるにはあるみたいなのだ。

しかし、ない。事前にきっちり調べた通りにある建物の一軒一軒を調べても、それと思しき名前がない。隣の通りだろうか、それとも道路を一本渡るのだろうかと、暗くて寒い道を30分近く無駄に歩いたところでようやく自分の誤りに気付き、めでたく暖かい室内に入ることができた。普通なら10分で済むのに。

 

ぐったりした私がアパートに着くと、そこでは母、父、8歳前後と思しき男の子が待っていてくれた。主に母がいろいろと案内をしてくれた。一通りの説明を聞き終え、支払いを済ませると、空腹を覚えた。再び寒くて暗い外に出る。

この時間ともなるとレストランやバー以外に開いている店は限られてくるし、夜は風景がわかりづらくて方向感覚がつかみづらい。ただでさえ方向感覚には弱いのに。近くにパン屋でもないかと探していると、24時間営業と書かれたパン屋が一軒あり、喜んでそこに入っていった。

入店すると、奥からギャルの爆笑が聞こえ、何だか違和感を覚えたので出ようかなと思ったが、そのときにはレジ係のギャルがこっちまで出てきたので仕方なく、おとなしくパンを選んだ。私がパンを選んでいる最中にも店の奥ではギャルの話し声が聞こえ、犬を連れたギャルが店に入ってくると、そのギャルとレジ係のギャルが話し始める。違法ではないが異邦である。図らずも異空間に放り込まれた感があった。

そのあとで近くの小さなスーパーに入って飲み物を買ったが、そこのレジ係の兄ちゃんも何だか変で、精算で私の番が来ると突然ニヤニヤし始めた。私を見てニヤニヤしたのか、その前に精算したオッサンについてか、思い出し笑いか、よくわからないがとにかく気味が悪い。というか、パン屋のギャルは別に変ではない。ただ珍しいだけだ、あんなむき出しのギャルがパン屋の店員だということが。パンもギャルが作っているんだろうか。

部屋に戻ってやっとひと段落着くことができた。部屋自体はとても広く、シャワーもトイレも食器も電子レンジも備え付けてあるので快適といえた。私は、勢いのないシャワーなんてシャワー失格だと思っている節があるのだが、ここのシャワーは勢いのあるシャワーだったのでその点も評価できる。

 

翌日、昼過ぎにクロアチアの首都ザグレブへ向かう電車に乗る。トラムと地下鉄を乗り継いだ先のKelenföldという駅からその国際列車は出ることになっていた。

以前、そして前日の経験から、ブダペストの地下鉄に清潔なイメージは持っていない。しかし今回利用した地下鉄4号線は駅構内も車内も新しく清潔で、無菌室のような雰囲気さえしていた。

終着駅のKelenföldも同様だった。比較的大きなバスと電車の発着駅のようだったが、細長い駅構内にはプラットフォームに上るエスカレーターのほか、案内所と売店が2、3軒あるだけの、非常に質素な成り立ちをしていた。また、プラットフォームと構内をさえぎる扉もないので外気が下まで下りてきてかなり寒い。少し早めに駅に着いたもののじっとしてもいられず、荷物を持ったままウロウロし、国際列車だし15分前ぐらいには電車もやって来るかと思いきや、なかなか来ない。寒い寒いと思いながら、結局電車は発車時間ぎりぎりにやってきて、わずかな間だけ停車すると、あっという間に駅を出た。まさかそんなすぐに出発するとは思っておらず、自分の座席のある車両をのんびり探していた私は危うく乗り損ねるところであった。

7時間ほどの移動になる。向かい合わせの4人席で、私以外にカップルと、そのカップルと車中で仲良くなったと思われる女性がすでに座ってしゃべっていた。しばらくは狭いのを我慢して座っていたが、2、3時間すると一気にかなりの人数が降りていった。斜め後ろの4人がけ自由席が丸ごと空いたので、それからは私はそっちに移動した。

国境を越えるときには2、30分停車し、乗客のパスポートチェックが行われた。私のパスポートに初めて、飛行機ではなく電車で国境を越えたスタンプが押されることとなった。かわいらしいおもちゃの汽車みたいな絵柄だった。

車内の電気が突然消えてはまた戻ったり、真っ暗なため駅なのか駅じゃないのかよくわからない場所で停まったり、はたまたさっきまでの進行方向とは逆方向に進んだり、果たしてこれは予定通りの運行なのだろうか、ザグレブに着く気はあるのだろうかと思いつつさすがに疲れた頃、ピッタリ1時間遅れて電車はザグレブに着いた。

22時、あたりは暗い。私はこれから、少し離れたバスターミナルから出る夜行バスに乗って、アドリア海の真珠と名高いクロアチアの端っこの町ドブロヴニクまで行く。

ザグレブ中央駅は、一国の首都の中央駅としての威厳の欠片もない小さな駅だった。数軒の売店のうち1軒が開いているぐらいで、切符売り場も両替所も閉まっている。駅の案内所でバスターミナルまでの行き方を尋ねようと思っていたが、そこもすでに閉まっており、とりあえず駅を出たものの暗くて方向がわかりづらいアゲインなので、駅前のホテルでおとなしく事情を説明し、バスターミナルまでの行き方と地図をもらって再び歩き出した。

難しい道ではないし20分も歩けば着いたが、歩道には雪が残っており、キャリーバッグを引きずったり持ち上げたりしないといけないのには骨が折れた。

車は通るが人通りは少なく、寒い。ヨーロッパの冬は本当に暗くて冷たいなと実感する。

バスターミナルは駅よりもよっぽど充実しており、パン屋あり、バーあり、カフェあり、売店あり、と設備は整っていた。ほとんどはまだ開いている。そこでパンを食べたり飲み物を買ったりして1時間半ほど時間をつぶし、日付の変わる直前の23時55分、私はドブロヴニク行きの夜行バスに乗り込んだ。