月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その5‐3(ドブロヴニク)

翌朝は昨日と打って変わって、雨こそ降ってはいないもののどんよりと曇って強烈な風が吹き荒れ、今にも横殴りの雨でも降りそうな様子だった。無論、外に出るなどしたくはない。でも部屋に閉じこもっていても仕方がない。本日14時50分発スプリト行きのバスは明日まで待ってくれない。

荷物は置かせてもらって、外に出る。髪の毛が毛根から持っていかれるんじゃないかと思うほどの風である(ちょっと誇張した)。バスの時間まではまだあるので、昨日の散策中に看板を見て気になっていたモダンアートミュージアムまで行ってみる。これは旧市街ではなく、旧市街から海岸線沿いの道を10分ほど歩いたところにある。海岸と砂浜を一望できるこの一本道はつまり、海からの激烈な風を直接受ける道でもある。今度は誇張ではなく、歩きながら何度かよろめいた。

髪の毛をグチャグチャニしてたどり着いたモダンアートミュージアムだったが、入場料を80クーナ取られるということだったのでやめにした。学割が効くかと思ったがそれもなく、エントランスにも3名の係員以外誰もいなかった。もしかしたら中で私の人生を変える一作に出会っていたかもしれないが、中に入らなかったということは出会わなかったということだろう。人生とはそういうものだと思う。

ミュージアムを出て、昨日の宣言どおり旧市街地の残り半分を歩いて回る。さすがにここには観光客がいる。楽しみにしていた埠頭まで行ってみると、荒波にかぶられている無人の埠頭がそこにはあった。

それでも私は先までいく。まともに向かい風を受けていると前には進めない。それでも進む。何となく、私は先端に立っているという感覚が好きなのだ。あるいは頂上から見下ろしているという感覚。やっと埠頭までやってくると、波の立つ「アドリア海の真珠」を独り占めすることができた。5、6脚ベンチが据えられていて、所々に名前やハートの落書きがしてある。かつてここで何があったのか想像はつく。夏なら最高だろう。朝でも昼でも夕方でも、ひょっとすると夜でも。しかし風の吹きすさぶ大晦日、午前11時にここまでやって来て愛をささやくカップルはおろか、人っ子一人いなかった。

何となくお店に入ったり、教会で休ませてもらったりしながら時間をつぶした。またあの冷たい風の吹きすさぶところへ出て行くのかと思うと、一休みして教会を出るときには、「よしっ」と気合を入れる必要があった。裏道のようなところに入ると、人はおらず、その代わりに鳩がいたり猫がいたりして旧市街ならではの打ち捨てられたような雰囲気も味わえるが、そのぶん観光地だけでなく生活の場としてのリアルも感じられたような気がした。

少し時間は早いが昼ごはんに味の濃いトマトパスタを食べて、しばらくは暖かい店内で今日の夕方以降の予定や道順について復習した。

店を出ると、風はおさまっている。晴れ間も出るようだ。と、見る間に青空が広がっていくではないか。正午過ぎには昨日と同じようなきれいな青空が広がっていた。気温こそ上がらないが、これはいい。バスターミナルまで歩いていくのが少し憂鬱だったが、これなら景色も楽しみつつゆっくり歩いていけそうだ。

荷物を受け取って、旧市街とは反対方向にある新市街を通り抜けてバスターミナルまで行く。荷物を受け取るときに家主のおばさんが「スプリトまで行くの? スプリトは-6度だって、ここは-3度だけど」と言いながらミカンを一つくれた。いるものといらないものがあったように思う。

時間に余裕を持ったこともあって、ゆっくり優雅に歩いていけた。坂がほとんど下り坂だったことも幸いだった。新市街は確かに新市街と言うだけあって、旧市街よりきれいで大きな建物が少しはあったものの、たいしたことはない。それにその区画もあっという間に終わる。近くに大きい街もないし、この街で生まれ育つというのはずいぶん退屈なことなのではないかと余計な考えを抱いたりもしたが、その先にある港まで出て、海とボートと例の家並みと空と鳥と、それに山までもがひとつのフレームにおさまっている風景を見たときには「すみませんでした」と手をついて謝りたくなった。なんと贅沢な風景だと思った。

今は13時40分。14時50分までずいぶん時間がある。そういえば昨日の愛想の悪い切符売り場のおばちゃんが言ってた時刻、14時フィフティーだったよな、フィフティーンじゃなかったよなと、購入した乗車券をまだ一度も確認していないことを思い出すと、本当に14時フィフティーンと記載されていたから驚きだ。幸いそれでもまだ時間は余っていたから良かったが、勘違いというのはまぁ恐ろしい。

14時15分に出発したバスは順調に走る。昨日は寝ていたから気がつかなかったが、ドブロヴニクを出てずいぶん長い間、海岸線沿いにグネグネの道を行く。傍らにほとんど家はない。時々ホテルが会ったりスーパーがあったりするだけで、あとは片方に砂利の山肌がむき出しになった斜面、もう片方には海があるだけだ。

5時間の移動。途中までは快適だった。隣の席にも人はおらず、ゆったり座れた。ところが日も落ちて暗くなった頃、バスが突然止まる。何度か、バスの停留所とは思えないが停留所、といったところで客を乗せていたので、またそれだろうと構えていたのだが、どうやら違うらしい。他の乗客も心なしかソワソワしている。何か放送が入る。何を言っているかは全くわからない。が、さっきよりも車内はざわつき始めた。間違いない、間違いなく、今あまり良いことは起きていない。

車内灯も落ち、寒そうな夕闇の中をドライバーとその補佐係(チケットをチェックし、途中でドライバーと運転を替わる、つまりどちらもドライバーで補佐係だ)が外で電話をしたり話し込んだりしている。時々バスに戻ってきて乗客と話す。

いま思い返すと不思議なのだが、その運転手と誰かとの会話の断片でfuelといった単語が聞こえた気がした。クロアチア人同士がしゃべっていたと思ったが、観光客の一人が現在の状況について尋ねたのだろうか。もしかすると気のせいだったのかもしれないが、とにかく私は、バスは燃料切れか燃料漏れか何かのトラブルでもう走れないのだろうと推測した。さてどうするのだろう。しばらくは何も動きがなさそうだと判断した血気盛んな若者数人は寒いのに外に出てしゃべったり、木の陰に行って立ち小便をしたりしていた。

どれぐらい待ったか、30分は待ったと思うが、後から来たバスに乗せてもらうことになった。もともと乗客が乗っているバスに、余裕があったとはいえ6、7割席が埋まっていたバスの乗客が新たに乗り込むのだ、どうなることかと思ったが、何とか全員座れた。「私たちは」全員座れた。

その後も停留所で乗客を拾う。もう席はない。どうするか。出入り口のステップに座る、無論シートベルトはない。

さらに乗ってくる。どうするか。通路に立つのである。時刻も18時を過ぎている。次の便などはもうなくて、これに乗らないと年を越す前にスプリトには着かないのかもしれない。それにしても、日本の長距離バスではありえない光景が広がっていた。