月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その5‐6(ザグレブ)

昨晩は、雨のせいもあるかもしれないがずいぶん寒かった。それに比べると今朝は、曇ってはいるが寒さが緩んだように感じる。5、6度はあるんじゃなかろうか。トラムに乗って、いちばん大きく、観光の基点になると思しき広場まで行く。Trg J. Jelačićaというところで降りた。

ザグレブ観光については完全に素人なので、今回もいつものようにホステルに置いてある地図と簡単な観光案内所を読んでおおよそのルートをつかんでおいた。この案内書には親切にも、「このルートをたどると良いでしょう」というような矢印が色つきで示されていたので、原則それに従っていこうと思う。思う、と書いたのは、私が通る道の最終決定権は私にしかなく、そして私が地図どおりに道を進めるかどうかは無論はなはだ怪しかったからである。

トラムは比較的よく来る。トラムから外を眺めていると、これはザグレブに限ったことではないがクロアチアにはパン屋が多く、価格が安い。味も全く問題ないし、旅行者にとって非常にありがたい。

さて、先に述べた何と発音するのか見当もつかない大広場で降りると、そこにはたくさんの人がいて、大広場、観光の拠点にふさわしい場所、親切な案内書ありがとう、であった。まず目に飛び込んできたのは「BAN JELALIL 1848」と書かれた大きな騎乗像で、彼の鼻と口の間には立派なマリオ髭がたくわえられていた。何かの英雄に違いない。1848年に亡くなったのだとすれば、ナポレオン戦争関連だろうと推測される。

広場には地元民のほかに観光客と思われる顔もしばしば見られた。こんな寒い時期にでも来るのかと思う。

まず向かうは大聖堂だ。所々に立つ案内標識には無数の施設の名前が表記され、そのほぼ全てが同じ方向を指し、案内標識としての役割に新たな意味づけを求めているようにも見えるが、まずは大聖堂だ。その案内標識の中に、観光案内所には書かれていなかったオリーブオイルギャラリーなるものがあって非常に気になるが、まずは大聖堂だ。

大聖堂は完璧にゴシック様式の、非常に立派にとがった高い建物だった。中も広く、イエスの磔はもちろん、イエスが生まれたときのジオラマ(というのだろうか、マリアがイエスを抱き、その隣にヨセフがいて、周りには羊もいる)があって、ステンドグラスもたくさん張られており、内装も充実していた。

十字を刻んだり、イエスの磔の前にひざまずいたりしている人たちを見ると、そしてそれがもちろん、全くもって奇異ではないことを考えると、宗教というのは本当に不思議だと思う。それはたぶん日本人として思うのだと思う。外国に慣れていなかった頃、たとえばチェスキークルムロフ(チェコ)の聖ビート教会に入ったときは、ただその非日常的な静謐さに半ば圧倒されていただけだったが、少しずつ、教会を訪れる回数を重ねることで、考えることや感じることが変わっていくのがわかる。そのうちそれが、ただの既視感や倦怠になってはいけないなと思う。

その次に訪れた教会の屋根はタイルが敷き詰められている。タイルは国の紋章らしき図面を描いていた。ドット絵のようにも見え、それは私にどこかパックマンの世界を髣髴させた。そのすぐ傍にある歴史博物館にも立ち寄った。それほど大きくない建物、フロアは戦争にまつわる展示ばかりだった。クロアチアの歴史は結局のところ戦争ということなのかもしれないし、単にこの期間がそういう展示だっただけかもしれない。

このあたりは坂が多い。道端にはそこそこ雪が残っていて、歩行者も自動車も慎重になる。

そのあと、ちょっとした展望台に出たが、市内を見渡すには低すぎる。ただ、少し雪をかぶった赤い屋根の立ち並ぶ景色は、ドブロヴニクやスプリトにはないものだ。

ちょっとした展望台を降りると、いちばん最初の大広場に戻ってくる。ちょうど昼時で、大聖堂の前にあったレストランに入ろうと思い、はじめとは一本違う道を通る。朝は気がつかなかったが、この道のほうがたくさんの人が集まっている。何があるのだろうと階段を上ると、そこには青空市が広がっていた。主におみやげや食料品が売られている。特に野菜と果物、その中でもリンゴとミカンが大人気だ。みかんは量り売りが主流のようで、各々ビニール袋に入れたミカンをブリキのバケツに入れて計量している。私はそこで、ドブロヴニクでもらったミカンのことを思い出し、そのミカンの皮をむくときの音も、そのときに鼻をくすぐる香りも味も日本と同じで、ずいぶん感動したことも思い出した。

 

昼食を終えたあと、今度は大広場から南半分を攻める。言い換えると、大広場から鉄道の中央駅へ向かうルートだ。こちらには目抜き通りがあり、屋台やパン屋、レストランが並び、お昼どきということもあってどこも大勢の人でにぎわっている。首都にふさわしい活気だ。

そこを抜けると国立劇場がある。濃い黄色で塗られた国立劇場はスプリトのものよりは大きく装飾も手がかかっていたが、すでにパリやウィーンのトップ・オブ・トップな劇場を見てしまっているので「小さいな」という印象のほうが勝ってしまう。

それからさらに15分も歩けば、中央駅前に出る。ここには王宮が建っている。王宮の前には広場があって、何とそこがスケートリンクになっているではないか。大人から子どもまで、みんな気持ちよさそうに滑っているのでうらやましくなり、とりあえず料金表を見てみると、入場料400円、貸し靴200円という大バーゲンだったので、5、6人並んでいる列に私も並んでチケットを購入した。

75分で1ターン、そのあと30分の整地の時間があって再び75分、という方式になっていて、入場券1枚で1ターンだ。いま入ってしまうと30分ほどしかスケートを楽しめないということなので、1時間待ってもう一度戻ってくることにした。いったん宿に戻ってかばんを置き、身軽になったところでスケートリンクに足を踏み入れた。

靴を借りるのに時間がかかり、そのあとスケート靴を履き、自分の靴を預け、そんなことをしている間に20分ほど経過していたが、じゅうぶんにスケートを楽しめた。

約10年ぶりのスケート。はじめの15分は、ただ転ばないためだけに生きているよちよち歩きの物体だった私は、すいすい滑る地元のちびっ子たちに「ジャマだ」と、その小さな手で押しのけられ、屈辱を味わわされ続けた。

なかなかスムーズに滑ることはできなかったが、王宮前でミラーボールがあでやかに回り、大音量の音楽が流れる中、人々のはしゃぎ声に囲まれているだけで、私の心は満足だった。

時間終了10分前に切り上げたから、40分ぐらい滑っていたと思う。スケートって、なんであんなに汗が出るんだろう。熱くなった体と、靴を履き替えて軽くなった両足を切に感じながら、宿に戻った。私の宿は、地元サッカーチームのディナモ・ザグレブのスタジアムに非常に近かったので帰り道に寄ってみたが、ショップは閉まっているしグランドには雪が積もっているし、正真正銘シーズンオフだった。