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月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その5‐7(ザグレブ、ブダペスト)

旅行記

翌朝。ついに観光最終日だ。ありがたいことに朝からよく晴れて日差しもあたたかく、マフラーや帽子はいらないぐらいだ。

昼過ぎに電車に乗ってブダペストに向かう。それまで少しだけ観光の続きをしよう。昨日目をつけておいたオリーブオイルギャラリーに今日こそ行かねばならない。

宿を出て歩いていると前方にベンチが見え、その背もたれに5羽のスズメがとまっていた。私がベンチに近づいていくにつれ、1羽、2羽と同じ方向へ飛び去っていく。しかし最後の1羽だけキョロキョロしたまま、ついに最後まで飛び立つタイミングを失ってその場にとどまっているのを見たときに、私は彼(彼女)になぜか強烈なシンパシーを感じた。

オリーブオイルギャラリーの場所については、昨日大活躍した案内書を見ても、宿のWi-fiのおかげで利用できるGoogleマップを使用しても、どうも要領を得ない。まぁ行けばあるのだろうぐらいに考えて、とりあえず昨日と同じく、マリオの髭をたくわえた男の像のある大広場に出て、案内板の示すとおりに大聖堂のほうへと進んだ。

昨日よりもたくさんの人が大聖堂に入っていくように感じる。なんだか活気さえ感じる。そこで私は、今日が日曜日、礼拝の日であることに気がついた。これはタイミングが良かった。昨日も中に入ったが改めて中に入らせてもらうと、そのときはみんなでミサか何かを歌っていた。歌い終わって、牧師が何か少し言って、再び歌った。

牧師はピンマイクを使って話す。マイクがなかった時代にあの大きさの聖堂に地声を響かせるのは、気持ちいいかもしれないがなかなか大変だったろうと思う。牧師のお話し中も、みんなの歌の最中にも続々と人が出たり入ったりする。十字を刻んでひざまずいたりしている。

私だけが、言葉もわからず、キリスト教の知識も、ましてや礼拝では何をするのかについても全くの無頓着で若干の不甲斐なさを感じながら、自分にはオリーブオイルギャラリーぐらいがちょうどいいのだと肩を落としてその場を離れた。

標識に従って進むが、全然ない。というか、いつのまにか標識が消えている。標識どおりに進んだからには、標識の逆鱗に触れて正しい道を教えてもらえないということもなさそうなものだが、とにかく進むべき方向がわからなくなった。そこそこ歩いていい加減にあきらめて、来た道を戻っていると、行きに目にした最後の標識のところまで戻ってきた。そういえばこの標識、まっすぐを指しているように思ったが、見方によっては左折を示しているように見えなくもない。幸か不幸か私は暇で(というかこのギャラリー以外に行きたい場所も特になく)、ダメもとで左折してみるとあっけなくその先に、次なる道順を示す標識を見つけた。

今回に限っては、私は悪くないと思う。皆さんにお見せしたい、あれはどう考えてもまっすぐを指しているように判断せざるを得ないと思う。

オリーブオイルギャラリーは、小さいショッピングモールのような施設の中にあるようだ。3階建て程度の規模で、お客さんもあまり入っていない。住宅地を一本入ったあたりにある、立地に恵まれているともいえないこの場所。どういう意図で建てられたのだろう。

そんなことはどうでもいい。オリーブオイルギャラリーだ。だが、ない。ギャラリーがない。

仕方がないので、ふたり立ち話をしていた掃除のおばさんに尋ねてみた。どうも英語をわかってくれない。そこにたまたま通りかかった老紳士が、おばさんふたりに挨拶しがてら(知り合いだろうか)何事かと私を見る。私は彼に、簡単な英語でオリーブオイルギャラリーをご存じないかと尋ねた。

彼は核心部分を理解してくれたものの、微妙にずれた解釈をとってしまった。具体的にいうと、オリーブオイルギャラリーはもう閉まっている、クローズしているという情報を私に与えてくれつつ、だが大丈夫だ、君は下の階にあるスーパーマーケットでオリーブオイルを購入できるよということを非常に懇切丁寧に教えてくれた。得体の知れないオリーブオイルギャラリーに入ることを目的としていた私の気持ちはいまひとつ汲み取ってもらえず、オリーブオイルギャラリーでオリーブオイルを買おうと思っていたのに買えないかわいそうな少年の望みを絶つわけにはいかないという老紳士の熱いハートが、もう少しのところで私にとって120%不要なオリーブオイルを買わしめた。

それにしても、老紳士とおばさんふたりは親切でよかったが、ずいぶん無駄骨になった。人を迷わせるようなたて方で標識を設置したうえに、もう閉まっているのならとっとと撤去してほしい。

それからは、昨日の青空市場でおみやげを10クーナ(たしかおよそ200円ぐらい)値切って買い、PAN-PEKというザグレブ市内でよく見かけるチェーンのパン屋で今日の分の昼と夜を買い、ホテルに戻って荷物を受け取って中央駅に向かった。

中央駅に向かうトラムに乗っていると、とても可愛らしい女の子を乗せたベビーカーを押してお父さんが入ってきた。彼女は手に持った人形をいじくるか、外の景色を見ているような見ていないような風でいるか、どちらかであった。ベビーカーが窓のほうを向いているからそうならざるを得ないという説も一理ある。

今日はいい天気で、日が車内に差しこんでくる。それがちょうど女の子に当たる角度と位置なのだ。たいていは建物の影になるが、ときおり車内の彼女に向かって日が差す。その度に、お父さんは彼女の目を手で覆っていた。覆っては影になって手を外し、再び日が差し込んできては手で覆う、その繰り返しだ。そういうことが本当に必要なのかどうかは知らないが、たしかに小さくデリケートな瞳にはこの光線は強すぎるかもしれない。

父の思いなど我関せずとばかりに、彼女は日差しを真正面から受けるような姿勢をとる。もうあと15年もすれば、もっと父の思いを無視していろいろと遊びまわるのかもしれない。そう思うと、彼にも彼女にも全く関係がない私も、お父さんを想って同じ男として胸が痛んだ。ベビーカーはそのうち、窓と反対側に向けられた。

駅に着いたとき、電車の出発までまだ1時間ほどあったので、駅の真ん前にある王宮スケートリンクを見に行った。今日も繁盛している。と思ったら10分ほどでみんな引き上げてしまった。整地作業をぼんやり見ながら時間をつぶした。

私が乗った電車の座席では、最初の2、3時間は6人がけを独り占めできたが、後の半分ぐらい(ちょうど国境あたりだっただろうか)でふたりセットの若者と一人のおばあさんがやって来て、ゆったりとは言えなくなった。私の前に座ったおばあさんはSUDOKUと書かれた薄い冊子に取り組んでいた。そういえば欧米圏の特に中年以降世代の人々が数独を解いている姿はよく見かける。

今回の電車は逆走したりせずに走り、20分程度遅れてブダペストに入った。あたりはすっかり暗くなっていたが、さすがに三度目のブダペストでは正確に地下鉄を乗りこなし、ホテルまで無事にたどり着いた。

翌朝はホテルの朝食バイキングを堪能したが、私が席に着いて10分ほどしたところで大勢の中国人がやってきた。その中国人たちとはまた別だと思うが、韓国人の数人連れもいたように思う。日本人は私だけだった。

旅行をしていると、改めて中国人観光客の多さには驚く。行く先行く先、まぁ必ずと言っていいほど中国人はいる。10億人以上もいれば、そりゃあどこに行こうが観光客の数人もいるのかもしれないが、やはりそのパワーというか、ホンマにいるんか、というある種の感嘆は禁じえない。逆にだからこそ、この前にフランスのモン・サン・ミッシェルを訪ねたときに中国人を凌ぐ日本人観光客を目にしたときにとても驚いたのだ。

 

バスも飛行機も無事に走って無事に飛んだ。その日は一日がかりで、朝8時から夜の9時までかかって留学先のスウェーデンの寮にまで帰ったことを記しておこうと思う。

そして何より、クロアチアの特に沿岸部の都市は、筆を尽くそうとするほどにそれが徒労に終わるような、それはどうしたって表現しえないのだ、実際に行かないとわからないし伝えられないのだというような感覚に陥るほどの景観と空気が私たちを包むこと請け合いであることも添えて、この章を終えようと思う。