月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

ヒトリノ夜

ひとりの夜に何をしているか。

これはその人の人格をよく表すと思う。本棚は人なり。宵もまた、人なり。

だからわたしは、めぼしい男の子を見つけると、その人と本当に付き合いたいかどうか判断するときに、必ずこう聞く。

「ひとりの夜には、何をしてるの?」

簡単なこの質問は、便利なことに、おもしろい人間とちっともおもしろくない人間を、見事に二分してくれる。

「マンガ読んでる」ちょっと違う。

「酒飲んでる」何かめんどくさそう。

「料理を作り置きしてる」夫にするなら80点、でも彼氏にするには55点。

もちろんその答えですべてを判断するわけではないけど、でも本当に、世の中のみんなはどうやって、ひとりの夜を過ごしているのだろうと思う。

ひとりの夜ほど、わたしの感情をむき出しにさせるものはない。「ひとりって、なんて自由なのだろう」と、胸いっぱいに喜びをあふれさせて、ひとり鍋をつつく夜もあれば、ヘッドホンから聞こえるビリー・ジョエルの声で感傷にひたるときもある。風邪を引けば、夜が二度と明けない気がする。好きだった人を嫌いになった夜の闇は深い。

ひとりの夜を重ねることの価値は大きい。わたしはそう思う。だからわたしは、頻繁に誰かと夜を遊び歩いては、SNSに写真や動画を投稿する彼らを可哀想だと思う。彼らは今日もまた、わたしたちの心を巣食う幼稚さから逃れるチャンスを失った。

川沿いの遊歩道に吹く9月の夜風は、わたしの屈託を少し撫でてから、軽やかに吹き去った。見渡せば、手をつないだカップルがいくつか見える。彼女たちには、そのすべてが愛おしいのだろうと思う。身長差が嬉しいのだろうと思う。慣れない歩幅がくすぐったいのだろうと思う。風になびく髪が誇らしいのだろうと思う。わたしにも、わかる。

だからわたしは、北の空を見上げる。カシオペヤ座。自身の美貌を吹聴し、ポセイドンの怒りを買った、古代エチオピアの王妃。9月の風は、わたしに優しい。