月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

ヴォイス

10年も美容師をやっていると、声を聞くだけでなじみのお客さんの調子が何となくわかる。具体的に、どこがどんな風に違うのかと問われても、それはとても感覚的なものだし、説明しようとしてもその違和感の箇所は人それぞれ違うから、一概に答えることはできないんだけど。

さっきの、高校生のときから来てくれるようになって、社会人になった今でも来てくれている男の子、っていう年齢でもないんだけど、彼の気分があまり良くないのは、襟足を切っているときに感じた。私がなにか言って、そのときの彼の相槌「そうなんすね」が、どこか芯を捕らえていないような口調だった。

彼の元気がないことに気付いたとして、私はその原因を探ったりはしない。それを解放する場所がどこなのか、決めるのは本人だ。なじみの顔であっても結局、私と彼は他人でしかない。サービスを提供する者とされる者。そのラインを、他の人たちがどう思うかは別として、私はまたぐべきではないと思う。

彼は恋愛で落ち込むような人間じゃないから、実際、高校生のときに好きな子にフラれた話をおもしろおかしく語っていたし、仕事のことで少し行き詰っているんじゃないかな。

その点、それから数時間後にやって来た大学生一年生の男の子は、絶好調みたいだった。いつもより一言多く話す。声のトーンも少し高い、気がする。「学食が安いのはいいんすけど、メニューが代わり映えしなくて悩んでるんですよ」だってさ。おいおい、そんなくだらないことを悩みと呼べるのも、今のうちだけだぜ。

とはいえ、悩みというのは、私には悩みなんて特にないけれど、それがどの程度のものであれ、抱えている当人には少なからずタフなものだ。私がカットするたびに、そのつらい気持ちのほんの少しでも、削ぎ落ちていけばいいなと思う。

そうだ、強いて言えば、私の声に元気がないときに、それに気付いてくれそうな人の顔を思い浮かべられないのは、悩みかな。