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月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

幸せについて本気出して考えてみた

僕が父から教わったこと。人は、自身の幸福を求めて生きるのだということ。人生とは、いわば自分だけの幸福を求める旅なのだということ。その幸福は、他者との分かちがたい掟と絆によって固く保障されねばならず、それは神の庇護によってのみ成立するということ。そして、その幸福を乱すものには、神からの容赦ない鉄槌が下されるということ。

僕は幼いころから父に連れられて、近所の祈り場や教育所、「先達」と呼ばれる我々の指導者の会合に顔を出した。もちろん、幼い僕には大人たちが話すことの意味を理解できなかったけれど、時として銃を携え、血を流しながらも、神の「代行」を達成して帰ってくる偉大な彼らと同じ空間で、食べたり飲んだりする経験はとても楽しかったことを覚えている。

周りの子ども達も、大体僕と同じような幼少期を辿ったと思うが、10歳になるときに「踊り場」を上がれたことが、僕のひとつの転換点だったはずだ。自由記述の作文と面接。僕は自身の心のままに、いかに自身の宿命が幸せと同義なのかについて、懸命に少ない語彙を使って書き、滔々と述べた。日ごろ、父や先達が僕に教えてくれていた言葉。「宿命を知り、神に散る」。右腕に刻んだ、座右の銘。

父が若くして病気で亡くなり、後を継いで僕が先達となったころ、大規模な代行が決定した。大陸の向こう側から、デモクラシーを謳う輩。古代ギリシャ語の概念をいまだに踏襲したカビどもに、今こそ我々の正義を証明せねばならない。血を流さねば、わからぬことだってある。そうして気付けばいい。神はどこにいるか、幸福はどちらに在るか。

その日、僕は先頭にいた。妻と息子へのあいさつは、昨日のうちに済ませておいた。

また帰ってくる。流れた血、神への祈り、同胞への号令、その数だけ我々は強くなる。またひとつ、真の幸福に近づく。

僕の胸は高鳴っている。幼い頃から夢に描いてきた瞬間だ。世界は今日、我々の正しさを知る。