月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

あなたがここにいたら

「ねえ、もう少しだけ話してもいい?」と彼女は言った。「もう少しだけ声が聞きたいから」そう言いながら、彼女の声は少し眠そうだった。もちろんいいよ、と僕は答えた。それから「でも声が眠そうだけど。明日というか今日の朝も早いんだろ?」と付け足した。ご名答、と彼女はささやくように言った。それからこう続けた。

 

―今日ね、朝から雨だったの。水たまりがあるってわかってるはずなのに、何台かの車がケヤキ通りをバシャーって走っていって、すごく腹が立った。寒かったからラーメン食べたんだけど、久しぶりに塩ラーメンもおいしいなって思った・・・。

彼女の話は大体理解できたけど、少しだけ脈絡がなかったから、僕は所々質問をしながら話を聞いていた。そう、学校行くときにケヤキ通り通るから。学校の食堂で、いつも醤油ラーメン食べてたから、たまには塩もいいかなと思って・・・。こんな感じで。

それでね、と彼女は話しつづけた。こんなに眠そうなのに、僕の声を聞きたいといっていたのに、話し続けなくてはいけない理由があるのだろうか。

「夕方には雨が上がって、夜にはすごく綺麗な月が出たの。三日月。あなたと一緒に見たいと思ったわ」そう言った彼女の気持ちを、僕はすごくよくわかると思った。

 

あなたがここにいたら。最近よくそう思うの。

と彼女は言った。僕は何か答えるべきだ。何か優しいことを。わかっているのに、言葉が出ない。君に寄り添う言葉。だけど、きれいごとは言いたくない。

優しくないのね、と時々言われる。そうかもしれない。そんなつもりはないけど、きっとそうなのだろうと思うときがある。君に正直でいたい気持ちが、僕の優しさを隠す。いや、最初から僕は優しくないのか。

僕は、錯綜する言葉たちの中に立ち尽くしていた。彼女は小さく、「おやすみ」と言った。

かの文豪は、どうしてI love youを「月が綺麗ですね」と訳したのだろう。