月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

ワンモアタイム

たしかにあの店のラーメンは、もう一度食べたかった。

「自分たちのルーツをたどるツアー」と題し、昔からの男友達三人で、故郷を旅行者気分で回ることにした。
「30歳になる前に何かしよう」とグループLINEで盛り上がった話の流れだ。久しぶりに、自分たちが育った場所を訪れるのもいいのではないかということに落ち着いた。

僕たちのような、児童養護施設で育ったものにとって、生まれ故郷はあるようでない。少なくとも、就職して他の街に出て行けば、帰る場所はなくなる。僕たちは成人式にも行かなかったから、高校を卒業して以来もう10年以上訪れていない町だ。それで別にかまわないと思っていた。僕はこの町を必要としていない。世話にはなったが、それは他の場所でもきっと同じことだ。そして僕が必要としていないように、この町も僕を必要としてはいないだろう。そうして僕は、本音と強がりの境目さえ見失ったまま、都会に暮らし続けた。

そんな僕に、感傷という言葉は用意されていない。だけど、月並みな言い方にはなるが「変わったな」と感じた。変わってほしくないのは、その場所にとどまらなかった者のエゴに過ぎないのに、僕はかつて飽き果て、捨て去りたかったあの風景の再現を心のどこかで求めていた。

中でも思い出深いのは、あのラーメン屋。施設の寮から歩いて5分ほどのところにある、個人経営の店だ。小学生当時、大人と一緒ではなく、友達同士でラーメンを食べて店を出てくる中学生の姿がやけに大人に見えた。施設では、中学生からおこづかいがもらえる。自分たちも早くおこづかいをもらって、自分たちだけでラーメンを食べたいと思っていた。そして、はじめて食べたそのラーメンは、少しコショウが効き過ぎていて、チャーシューがとろけるようだった。

あのラーメンは、たしかに食べたかった。大将のハチマキは、棺とともに燃えただろうか。

店の前には、あの暖簾だけが今でもかかっていた。