月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

青春花道

卒業式の朝は、いつもより静かだ。節目というよそよそしさが、わたしをそうさせるのか。朝のニュースのアナウンサーは普段より小声でしゃべり、大通りを走り抜ける通勤の車も少しだけ速度を落としているようだ。青の絵の具が足りなくなって懸命に水で引き伸ばしたみたいな空の色は、冬の名残と春の気配の両方を感じさせる。

父はいつものように「気をつけてな」とだけ言って仕事へ向かった。母はいつもよりも鏡台に座っている時間が長い。わたしは・・・どうだろう。

通いなれた通学路も今日で最後か、と意識しないと、続いてきた日常はあまりにも永遠に近すぎて、まるで実感が湧かない。算数のことを数学と呼ぶようになった日のような、男の子を前に今まで感じたことのなかった胸騒ぎに気づいたときのような、昨日と今日の明確な線引きは、この頼りないよそよそしさだけなのだろうか。

空白の掲示板、空っぽの机にロッカー。黒板をびっしりと埋め尽くした下級生からのイラストやメッセージは、教室という箱の空虚さを際立たせた。このクラスでの思い出は、取り除かれた荷物やチョークの粉とともに、どこかに消え去ったようだ。クラスメートのおはようという笑顔も、少しぎこちなく見える。

体育館に鳴り響く吹奏楽の演奏、パイプ椅子の軋む音と予定調和的な拍手。起立も礼も、誰かの挨拶も、圧倒的な静けさの中で粛々と行われていった。市内のいたるところでこんな様子なのだろう。今がチャンスとばかりに、アナウンサーは声を張り上げ、車は制限速度30キロオーバーで飛ばしているに違いない。

第2ボタンをプレゼントする男の子がいたり、卒業アルバムにメッセージを書いたり、写真を撮ったり、すべてが台本どおりに進み、わたしの高校生活が終幕を迎えようとしたとき、この終わりにふさわしい整頓された静謐さが、昨年の祖母の葬式を覆う空気と同じだということに気がついた。

そこには終わりへの、諦めと安堵があった。