月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

夕方からのホームパーティー、というほどオシャレなものではきっとないけど、うちに彼が来るというんだから、きちんと掃除はしておきたい。特に水まわり。「ココで差がつく」とお昼の情報番組で言っていた。キッチンと、別に何を期待しているわけではないけれど、浴室の排水溝。

排水溝に詰まった髪の毛は不気味だ。肩甲骨まで伸びたわたしの髪の毛は、そこで二度と解けぬよう複雑に絡まりあい、どこかアンタッチャブルな存在に見える。水流にさらわれて、浴槽から排水溝へ流れていくわたしの髪の毛。断末魔の叫びさえも呑み込まれたその怨念が、ひとつの形としてわたしに襲いかかろうとしている感じがする。

人前で言うことではないかもしれないけど、わたしは自分の髪の毛が好きだ。彼にもわたしの髪の毛を見てほしい。髪の毛から好きになってくれてもかまわない。だけど、排水溝にへばりつき絡み合う髪の毛は見てほしくない。どうしてだろう。

半年前、当時別れたばかりの元カレが、自分の部屋のフローリングに落ちていたわたしの髪の毛を見て泣いたと言っていたと友人から聞いて、わたしは心底嫌だと思った。わたしの髪の毛を通して、とっくに済んだ二人の関係を再び迫られ、泣きつかれているような感じがしたのだ。

排水溝の髪の毛を彼に見てほしくないのは、それと似ているのかもしれない。

掃除は済んだ。準備は完璧。あとは身支度を整えればいい。

それなのに、なぜか排水溝が気になる。まだ終わっていない気がして、わたしの目の届かないところ、排水溝の奥から、テレビ台の下から、エアコンの送風口から髪の毛が湧き出てくるような気がして、わたしはふいに、自分の髪をちぎりたくなった。呪いを断ち切らなくてはいけない。ちぎることができないなら、切るしかない。

震える手で引き出しを開け、ハサミを取り出す。大切に伸ばしてきた自分の髪に、わたしは鏡も見ないでハサミを向けた。