月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

俺たちのセレブレーション

「レオナルドに感謝だよ」と呟いた。ぼくの呟きは、草の根に吸い込まれていく。河川敷の芝生に座るぼくの目の前では、数世代前のテレビドラマに出てくるような大きくて赤い夕陽が、川面をキラキラと照らしていた。

「ダ・ヴィンチのことをレオナルドって呼ぶのはお前ぐらいだよ」と、ぼくは心の中で呟いた。心で呟いたぼくの言葉は、誰にも届かずに心の中に在り続ける。心の中に収まりつづける感情や言葉を、ぼくは愛おしいものだと信じていたのに、「思っているだけじゃ伝わらないのよ」と言って泣いたガールフレンドの言葉は、ぼくの心を今でも濡らす。

メガネをかけて河川敷に来たのは、その風景が一番ぼくの視界のクリアさを証明してくれるのではないかと思ったからだ。晴れた日の河川敷には、青い空があり、緑の芝生があり、透明な黒に染まり流れる川があり、Tシャツを着た少年少女や制服を着た学生や犬の散歩をさせる大人たちがいる。進行する近視に気付かぬまま眺めていたこの景色に、メガネをかけたぼくはどれだけの感動を持って違いを感じるだろうかと思った。

 

「この世界には、君の知らない美しいものがまだまだたくさんあるんだよ」と夕陽が笑っていた。「この世界は、君の想像以上に広いんだぜ」と空は誇らしげだった。「君の未来は、ここからなんだよ」と草花がぼくを励ましてくれた。走り回る子どもたちも、ポケットに手を突っ込んだ思春期たちも、行き交い、時に挨拶を交わす近所の人たちも、みんなぼくが知っている以上に優しい顔立ちをしていた。穏やかで親切で、彼らと彼らが生きるこの世界に、悪意なんて欠片も存在しないんじゃないかと感じられた。

メガネを外してみると目の前には、見慣れたはずの景色があった。しかしそれは、すでに色褪せて見える。メガネをかけた自分の姿にもまだ慣れないが、これもすぐに慣れるのだろう。

新しい風景と新たな一歩。夕陽の中でぼくは、世界に祝福されていた。