月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

その4‐7(パリ、ヴェルサイユ)

翌日はヴェルサイユ宮殿見学に出かけた。「とにかく広い」という噂を聞いているので、この日は丸一日空けてある。

宮殿の最寄り駅までは地下鉄RER線に乗っていく。事前に仕入れていた情報を自分なりに解釈してみると、この線は一般のメトロとは違い(たしかこっちは私鉄)、「治安が悪く汚い」ものの「ヴェルサイユ宮殿やシャルル・ド・ゴール空港へ直行する」点で捨てがたいということだった。

RER線を使わなくても国鉄地上路線を使えば、ある程度ヴェルサイユ宮殿の近くまでいけるそうだが、20分ほど歩く必要があるらしい。RER線を使えば10分もかからないぐらい。私は20分も歩けば必ず道に迷うのでRER線を使うことにした。

少し気を張ってプラットフォームに向かった私だったが、時間帯のせいか路線のせいか、治安の悪さや危険は感じなかった。やって来た2階建てのゴツい車両内が取り立てて不潔だとも思わなかった。メトロよりも本数は少ないようだ。

3、40分乗って、終点の駅から10分ほど歩けば宮殿に着く。道中に案内板が出ているし、そもそもほとんどの人が宮殿に向かって歩いていくので、私のような愚鈍がボケッと歩いていても大丈夫だ。

まず入口には、騎乗した大きなルイ14世像がドーンと置いてあるのだが、私の見る限り8割の人々はそれを無視して見学入口に向かっていく。この日はほとんど雲もなくきれいに晴れたので、その下に建つルイ14世像にはたいへん威厳があったのだが、世間はそんなことに気を留めないらしい。ルイ14世自身としても、ここまで大勢から無視された経験はなかなかないだろう。人生経験は大事だと思う。

たくさんの大型観光バスが駐車されており、旅行者の数の規模を物語っている。

ここでも持ち物・身辺検査を通過して、いよいよ見学に入る。ヴェルサイユ宮殿は、最も有名な「鏡の間」を配する本殿だけでなく庭園や離宮にも見ごたえがあり、その移動に広大な敷地を歩き回らなくてはいけないため、体力と時間を考慮して一日空けておいたのだ。

まずは庭園を歩いてみることにする。

驚いた。本当に広い。宮殿は高台の上にあり、庭園を見下ろすかたちになるが、その庭園の端が見えないほど広い、というか長い。

とりあえず歩いていく。道の両端には石像が飾られる台が見えるが、肝心の像のほうは修復中なのか、大半がほろをかぶっていた。そのほかにも各所工事や整備をしており、恐らくすでに照準は来年の夏、シーズン真っ盛りに定められているのだろう。あるいはクリスマスシーズンか。いずれにせよ、10月の末に来るような私たちは捨て駒なのかもしれない。

庭園には水路も通っている。宮殿からまっすぐに伸びる水路が一本あり、その水路を直角に貫く水路が二本、こちらとあちらに通っている。水路も、庭園内に生える植物、木々も徹底的に刈り込まれている。自然をも完璧に支配しようとしたかつての王たちの意向を確実に再現しようとしている。

ところで、観光客はこの水路に沿って歩くことになるのだが、この水路には橋が一本もかかっていない。ただただ水路に沿って歩くしかない。はじめのうちは見慣れない風景やよく刈り込まれた植木を楽しむ余裕もあったが、段々と同じ景色に飽き飽きしてきて歩くことにも疲れてくる。だが、そのときには引き返そうにもやはりものすごく歩かなくてはならないところまで来ており、私はただ苦痛を背負って歩きつづけた。ふと気付くと周りに観光客はおらず、走ったり自転車に乗ったりしてエクササイズを楽しんでいる人を数人見かけるだけとなった。私はエクササイズをしたくないから元の場所に戻りたい。

ちなみに悪の根源ともいえる水路では、有料でカヌーを楽しむこともできるし、地元のカヌークラブの人たちが本格的に競技の練習をしたりもしていた。

ぐったりしながら元の場所に戻ってきた。最後の力を振り絞ってトリアノン宮殿、マリー・アントワネット離宮までやってくると、開場は正午からということであった。まだ11時過ぎである。それから1時間弱をどう過ごしたのかは覚えていない。

正午になり、トリアノン宮殿に入る。内装は、恐らく本殿よりは落ち着いているのだろうが、それでも壁一面四方が鏡張りとか、黄色で統一された部屋とか、どこか浮世離れしている。ビリヤード台とキューだけが置いてある部屋もあった。

また、キリスト教要素の強い絵が多く飾ってあった。肖像画よりもそちらのほうが多い。宮殿内に天使が降り立っていたりする。

離宮はさらに簡素だった。マリー・アントワネットの悪名高い噂の数々をイメージしていると拍子抜けする。

これはもともと彼女のためではなくて、ルイ15世がその妃のために建てさせたものだそうだ。建物内に設置してあるセルフオーディオガイドがそう語ってくれた。

iPad的そのガイドは各国言語での説明を選択、離宮の歴史や構造などを説明してくれる。数に限りがあるわりに、一度使い出すとなかなか終われないので回転率が悪い。私がまじめに離宮についてのガイドを聞いている間も、後ろではどこかの子どもがものほしそうな顔でこちらの画面を見ているのがわかる。

君ら、まだ説明聞いてもわからんだろ。これはおもちゃと違うんやで。

私は、そのとき見ていた離宮の歴史についてだけは最後まで見終えて、彼女と彼(姉と弟)にその場を譲った。

 

そうして、残すは本殿のみ。初めに述べたとおり、敷地が広いのでいちいち移動に時間がかかる。いや、時間はあまり問題ではない、体力だ。敷地内専用の自転車やカート(ゴルフ場で走っているアレだ)をレンタルできるらしいが、大学生はそんなところでお金を使えない。私は己の足で一歩一歩を着実に踏みしめていった。そういえば、セグウェイで敷地内を回るプランもあるらしかった。ヴェルサイユ宮殿も観光地としての生き残りをかけていろいろ考える。権力にあぐらをかいていられた時代は終わったのだ。

 

私が本殿について知っていることといえば「鏡の間」しかないが、その「鏡の間」まで宮殿内をけっこう歩く。道々、石膏像があり、壁に天井にいたるところにいろいろな絵がかかっており、巨大なルイ14世の肖像画がある。王と妃の食事室および食卓があり、寝具もある。

やっとたどり着いた、観光客の密集率も高い「鏡の間」は教科書で見たとおり、鏡だらけでシャンデリアだらけの部屋だった。

鏡の間を過ぎると、フランス史に栄光を添えた人々コーナー(推測)となり、ナポレオンやジャンヌ・ダルクの大きな絵が多数展示してあった。

飾ってある肖像画には男しか展示されていないと思っていたら、反対にほとんど女・子どもの描かれた絵しか展示されていない建物が別にあった。3歳ぐらいの女の子が一人だけで描かれている絵もあるが、どうやってじっとさせていたのだろう。

 

一日がかりのヴェルサイユ宮殿観光を終えて、夕方にホテルに戻ると道はものすごい数の人で溢れていた。露天市のようなものが開かれている。露天市といっても、各種生鮮品を取り揃えている店の列ではなく、ほとんどは個人的に「ナスを数本」、「ピーナッツを量り売りで」、「栗を煎って」みたいなものばかりだった。そういう人たちが大量に道端に並び、それらの間をまた大量の人々が行き交う。ほぼ全員が黒人だ。

たしかにこのあたり、私の泊まっている宿の周辺は明らかに移民街だし、ごみは多いし、ときどき公衆便所臭いが、「何かされそう」というような雰囲気は感じなかった。

夕方にはこんな風に、買い物に出る人で道が溢れ、あるいは飲み屋やレストランも客で埋まっている。治安よりも私が心配なのは、みんなで同じようにピーナッツやらナスやらを何となく広げて売っているだけでいいのかという、エッフェル塔近辺の黒人たちに対してと全く同じおせっかい的心配である。