月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

オー!リバル

頭が悪いやつとか、舌がバカなやつとか、とかく「足りない」やつらのおかげで、世の中は面倒になる。電話お悩み相談センターで相談相手として勤務して5年、それを痛感する。

カリフラワーから電話がかかってきたことがあった。こちらが受話器をとり、マニュアル通りに「はい、こちら電話お悩み相談センターです」と言い切る前に、カリフラワー氏の怒りは僕のもとにぶちまけられた。話は二時間以上かかる長いものだったが、要約してしまえば「14歳になってもブロッコリーとカリフラワーの違いのわからない子どもがいる」、そして「挙句の果てに、ブロッコリーのほうがおいしいと言う」の二点に尽きる話だった。もちろん、怒りというのはそう簡単に単純化するものではないということも、ここは怒りをぶちまけるのではなく悩みを相談する場所なのだということは言わないほうがいいということも、僕にはわかる。

悲しげなセイウチ氏からは「トドと間違えられて困っている」と深刻な声で告げられた。僕自身その二者の違いはよくわからないので、心の中で全てのセイウチに謝りながら悩みを聞いていた。「トドは床に寝転がってゴロゴロしている怠け者のイメージがあるが、セイウチにはない。だからトドと間違えられると、自身のイメージに深刻な瑕がつく。肖像権の侵害ではないだろうか」とセイウチ氏は言っていた。まず僕は、それは肖像権とは何ら関わりがないことを指摘し、それからじっくりと話を聞いたうえでセイウチ氏の良いところをたくさん見つけて褒めてあげ、最終的にはセイウチ氏に新たに自信をつけてもらって電話を終えることができた。

 

キャベツとレタスとか、梅田駅と大阪駅とか、愛と恋とか、僕らの周りは僕らを煩わせるものに満ち満ちている。それらをきちんと区別し、誰も傷つけないように生きることは可能なのだろうか。

僕自身、小西という名前を何度も大西と間違えられ、その度に不快な思いをしているのだ。