6700字小説(晴天管理株式会社代表取締役挨拶)
晴天管理株式会社代表取締役挨拶
これは、僕が5年前に彼から聞いた話だ。彼は、このことは他の誰にも言っちゃダメだよと前置きしてこの話を教えてくれたけど、彼は3年前に死んでしまったから、もう別に話しても問題はない気がする。それに本当は、他の誰かどころか他のみんなにこの話を広めてほしいと彼は思っていた気がする。
彼はそういう奥手な人間だったし、彼の言外にほのめかすところを僕が人一倍感じ取ってあげていたから彼は僕にたくさんの打ち明け話をしてくれたんだと思う。
もちろん僕はその「他の誰にも言わないでよね」から始まる打ち明け話のほとんどをみんなに話した。そのたびに彼は「言わないでって言ったじゃんか」といいながらちっとも怒らなかった。
だけど今から話すこの話だけは、僕の中でも本当に他人に易々と話していいものかどうか迷っていて話さないでいるうちに、彼は突然亡くなった。
彼が亡くなったことを悲しみ、お通夜に出て、もちろんお葬式にも出席して、しばらくは癒えることのない悲しみと戦いながら日々を過ごし、悲しみが癒えてくる頃には日常のもろもろにあくせくして、ワールドカップも開幕して睡眠不足に陥って、やっと今にたどり着く。
意識的に彼の話を3年間黙っていたというより、気づいたら3年経っていたのだ。
彼というのはメルヘン星出身のメルヘン民男くんのことだ。
メルヘン星は金星と地球の間にあって、形はメルヘンな形をしている。一日は27時間。四季もあって、春にはメルヘンな桜が咲き、夏にはメルヘンに日差しが強く、秋にはメルヘンをまとった紅葉がちらつき、冬には雪が降る。その結晶を顕微鏡で見ると、なんともメルヘンなのだそうだ。
メルヘン星には民男くんのほかにもうひとりだけ、メルヘン民子ちゃんがいた。メルヘン星の住人はそのふたりだけ。当時19歳だったふたりは、計略も下心もなしに、いつも一緒にいて、あと数年後には結婚するんだろうなと漠然と感じていた。
「民子、見てよ。ほら、梅が咲いた。メルヘンだね」
「ほんと。ここ数年で一番メルヘンな梅ね」
ふたりは縁側に腰掛けて、庭に咲いた梅を眺めた。
「あ、今日の皿洗い当番は僕だっけ?」
「そうだけど、わたしがやってあげたわ。民男、要領悪いし。あなた、3回に1回はお皿割っちゃうじゃない。ここんとこ珍しく割ってないから、そろそろ割るんじゃないかって思ってるのよ」
「お礼を言おうと思ったけど、感謝の気持ち半減だな。別に、3回に1回必ず割るわけじゃない。たしかに僕は民子に比べて要領が悪かったけど、もう僕だって慣れてきた。民子みたいに手早く、水も洗剤も一滴も無駄にすることなく皿洗いすることはできないけど、皿を割らずに洗い物をすることぐらい出来るさ」
「そう? じゃ、あしたとあさっては連続でよろしくね」
そんな風にふたりは過ごしていた。いつもピッタリとくっついているわけではなかったけど、ふたり同じ空間で同じように呼吸をして同じように時間を過ごすことに喜びを感じていた。この星に、ふたり以外に誰もいないという事実も薄々感じてはいたけれど、それはたいした問題ではなかった。他に何百万人いようが、何百万人いなかろうが、民男は民子がいてくれればそれで十分だと考えていたし、隣にいつも民男がいる生活を民子は心から慈しんだ。
そんな平穏も、7月の半ばに突然打ち破られた。
ふたりで仲良くテレビを見ていた昼下がり(この時間はいつもふたりで衛星放送の『冥王星でDON!』を見ていた)に、覆面をして手裏剣を持った軍団が家に押し寄せてきて「ちょっと来てもらえますか?」とふたりに尋ねた。
武器もなければ、家に秘密の仕掛けも持っていないふたりに選択肢はなく、『冥王星でDON!』を最後まで見てから15分後に家を出た。
ふたりが途中で離れ離れになってしまったのは誤算だった。
「民子とは一緒にいさせてください」
民男の悲痛な叫びも届かない。
「私たちの女王は、ふたりを引き離して連れて来いとおっしゃった」
「民男と一緒にいたいわ」
民子の望みも叶わない。
「私たちの王は、ふたりを離れ離れにして連れて来いとおっしゃった」
「いらっしゃい、わが国へ」
民男は優しい声に迎えられた。
「ここは、どこでしょう?」
民男は尋ねたが、その問いに女王は答えず、代わりにこう言った。
「私の名前は織姫。知ってるでしょ?名前ぐらいは」
「ええ、知ってます。本で読んだことがあります」
「そう、その織姫。これからよろしくね」
そう言って、織姫と名乗る女王はニッコリ微笑んだ。他の星に覆面集団をよこして、幸せなふたりを拉致するだなんてことは決して考えなさそうな、甘くとろけるような笑顔だった。
民男はドキリとしたが、体勢を立て直しこう尋ねた。
「これから、というのは。つまり、どういうことでしょう?」
「わからないわ。少なくとも一年。もしかしたら、死ぬまで。まぁ、それはあなたはもとより、私だって望まないことだわ」
「ようこそ、わが国へ」
民子は威厳のある声に迎えられた。
「民男はどこ?」
民子は尋ねたが、その問いに王は答えず、代わりにこう言った。
「私の名前は彦星。名前ぐらいは知っているかな?」
「はい、知ってます。」
「そう、その彦星だ。仲良くやろうじゃないか」
そう言って、彦星と名乗る王は声に似合わず弱々しく微笑んだ。他の星に覆面集団をよこして幸せなふたりを拉致しようなんていう強硬な考えは一生思いつかなさそうな悲しげな笑顔だった。
民子は不審に思ったが、まず第一の疑問を尋ねた。
「民男とはいつ会えるの?わたしはいつメルヘン星に帰れるの?」
「それはわからない。少なくとも一年後。もしかしたら、死ぬまで帰れないかもしれない。まぁ、それは私も望んでいないことだけど」
最初の一ヶ月は、ふたりとも互いを思って泣いて暮らした。民子は無事だろうか、民男は元気かしら。一度心配を始めると、もうキリがなかった。
しかし一ヶ月もすると、ふたりとも生活そのものには慣れてきた。それに、民男に関して言えば満足すら感じ始めていた。織姫の声や所作には、民子にはない色気があったし、スタイルも民子より良かった。もちろん民子のことが一番好きだったし、織姫と心を通わせることは出来なかったけど、一年我慢すれば民子には会えるんだろうし、これはこれで良い、まぁなんとかなるだろうと考えた。
新しい環境への適応においては、民子のほうが民男よりもはるかに要領が悪かった。一ヶ月経っても、ひとときも民男を忘れられずにいた。民男の温もりを思い出しては膝に顔をうずめて泣いた。
さすがの彦星もこれには参って、とにかく民子に事情を納得してもらおうと、ふたりを拉致して離れ離れにすることにした経緯を訥々と語り始めた。
「君はどのぐらい私たちのことを知っているかな?」
「・・・。彦星と・・・、おり、ひ、め」
彼女の声は、嗚咽の中に切れ切れになる。
「それ以外は?」
「あま、の、が、わ」
「他には?」
民子は膝に顔を隠して泣いたまま、首を横に振る。
「そうか。じゃあ、基本事項も含めてすべて話そう。その代わり、怒らないでくれよ、いいかい?」
民子は泣き続けていた。
彦星にはどうしようもなく、ひとりで話し始めた。
「私は彦星。お前の言ったとおり、織姫と天の川とに関係している。織姫は、私の恋人だ。天の川の向こう側に住んでいる。天の川西地区だ。私たちがいるのは東地区。西地区は、言うなればアミューズメントエリアだね。ゲームセンター、マンガ喫茶、映画館、サッカースタジアムや太陽系最大の屋内温水プールも西地区にある。一方こちら側、東地区はファッションに特化している。エルメスもあればH&Mもあるし、まぁ、私はその辺には疎いからよくわからないけど、とにかくこの地区に無いファッションブランドは無い。それから、役所だとか病院だとか、その類はここには必要ない。私と織姫に生まれつき備わっている特殊能力のおかげで、そんなものがなくても社会が機能するようになっている。だから、警察機構もいらない。私と織姫の望むとおりに社会は治まるし、人々は動く。お前たちを拉致したのは、私と織姫の意志によって動かされた一般の人々だ。そこには彼らの意思もなければ選択も無い。記憶さえない。そして、普段彼らは東西地区を自由に行き来して日々の生活を楽しんでいる。天の川の水は干上がったり満ちたりするが、水が干上がっているときにはバスが走るし、水が満ちているときにはボートが出る。何の苦労もない、楽しいところだよ、ここは。私と織姫はその支配者。まぁ、悪い気持ちはしない。これだけうまく治まっている場所はなかなか無い。たぶん、他の支配者たちからすれば、なんと幸福な王と女王だと思うことだろう。ふたりで一緒にいられるのなら」
そのとき、彦星の声に力が入った。民子の泣き声は、さっきよりも少し小さくなった。
「だけど、私と織姫はいつも離れ離れなんだ。社会を治める全ての特殊能力を備える代わりに、一番愛するものとは一番離れていなくちゃならない。私たちの心は通い合っている。そこにすれ違いは一切存在しない。私の望む社会は織姫の望む社会であり、織姫の願う未来は私の願う未来だ。ただ、会うことができない。触れることができない。声を聞くことができない。」
いつの間にか民子の泣き声は消えて、顔を膝にうずめてはいるけれど静かに彦星の話を聞いていた。
「身勝手な話なんだ。私たちふたりはこれだけの力を手にしておきながらだよ。年に一度、7月7日に、天の川が見えるときにしか私は織姫と会えないんだ。どこからかというとね、ほら、あれが見えるかい? 地球だよ」
そう言いながら、彦星は民子を窓辺に連れて行き、地球を指差した。
「あの地球の、今は左上あたりに見えている長細い列島がある。日本列島っていうんだけど、わかる?」
民子は静かにうなずいた。
「あいつらが決めたんだ。私には年がら年中、そこにある天の川が見える。干上がったり水に満たされたりするけど、紛れもなく天の川がそこに見える。それなのに、愚鈍なあの星のあの列島住民が勝手に決めたお話に私たちは制約されるんだ。あいつらがここにある天の川が見えるか見えないかで、私たちが会えるかどうかが決まるんだ。それも一年に一度きり。それが大いなる力の代償だよ。奴らは言うんだ、ロマンチックなお話ねって。ロマンチックだって? 冗談じゃないよ」
彦星は王としての威厳を忘れ、ただ恋人の片割れとして語っていた。
「冗談じゃない。そんなにロマンが好きなら、自分たちで一年に一度だけ会えばいいんだ。そうだろ? でも、そうはしない。遠くから私たちの天の川を観察して、あぁ、今年は織姫さんと彦星さん会えないのね、また来年ね、なんて言うんだ」
彦星はそこで一息ついて、静かに続けた。
「3年連続。今年で、3年連続で織姫に会えていない。寂しくて寂しくて、どうにかなりそうだ。社会が治まったってみんなが安寧のもとに暮らしたって、私は織姫に会えないんだ。それは誰の願いも努力も関係ない。抵抗も出来ないし、懇願も許されない。自分の一番の願いは、よその星の見知らぬ奴らの気まぐれで叶ったり叶わなかったりするんだ。私は君たちが本当にうらやましかった。君たちはまだ、あの星に住む誰にも存在を気づかれずに静かに暮らせている。そして自分たちの星に他の住人がいようがいまいが関係なく、ふたりだけの幸せを築き上げている。それが私には耐えられなかった、理不尽だと思った。だから」
一粒だけ涙をこぼして、彦星は言った。
「だから君たちを引き離した。私たちが再会できるまで、君たちにも私たちと同じ目にあってもらうつもりだ」
それだけ言うと、彦星は黙って奥の部屋に引き上げていった。
民子は、長い時間をかけて彦星の話を咀嚼した。納得はしなかった。彦星が自分たちの幸福を理不尽だと思ったのと同じように、民子は自分が民男と引き離されねばならなかった理由を理不尽だと思った。
だけど、これまでは気づかなかったけれども、たしかに自分たちは運が良くて恵まれていたのだと知った。
そうして、一年という時間を我慢して過ごした。
天の川地域一帯に季節は存在しない。常に快適な気温が保たれ、適度に雨が降ったり晴れたり曇ったりしている。ただ、季節の花は存在しないし、季節の匂いも漂わない。
巨大なアミューズメント施設もすべてが揃うファッション地区も、その退屈を補うためにつくられたものだが、王と王女は東西地区を行き来できない。彼らは孤独を紛らわす方法も見つけえぬまま、ただ寂しく虚無の日々を送っていた。
民子は彦星と深い関係になるでもなく、ただ彼の嫉妬心から自分たちに降りかかった災いに耐えてみせた。メルヘン星では今ごろ紅葉が山々を覆っているだろう、降り積もる雪が大地を白銀に染めているだろう、高く澄んだ青空に桜が舞っている頃だろう。
日々天気は変わり季節も移ろうけれど、決して揺らぐことのなかったふたりの時間、その記憶を一つ一つ辿りながら、一年という時の重みと愛しさを感じていた。
それは民男も同じだった。民男は一度だけ織姫と火星、木星、土星に一週間の旅行をしたけど、一緒に天体観測をして、土星の環メリーゴーラウンドに乗って、そのあとに少し手をつないだだけでそれ以上は何もしなかったし、今度は民子とここに来たいなと考えていたぐらいなので、結局ふたりとも互いを想って一年を待った。
一年が経った。日本列島には、4年連続で7月7日に雨が降った。
織姫と彦星は唇をかんだ。民男と民子は大声で泣いた。民子はまだしも、民男は自身のお気楽が打ち破られ、その意味を噛み締めた分だけワーワー泣いた。織姫はそんな民男の姿を見て、この涙が川のように溢れ出て、頭の悪いあの星の住民が天の川と勘違いしてくれたら全てうまくいくのに、と思ったぐらいだった。
一年間一緒に過ごして、織姫は民男に、彦星は民子に対して愛着のようなものがあったし、情のようなものも湧いていた。彼らは、これ以上はもうかわいそうだと判断した。織姫と彦星も少しずつ精神的な成熟を遂げているのだった。
「ねぇ民男くん」
織姫は、大泣きする民男に声をかけた。
「私と彦星で決めたの。あなたと民子さん、帰してあげるわ」
民男は泣き止んだ。でも、と織姫はあわてて付け足した。
「メルヘン星には帰してあげない。地球のね」
と言いながら、青く丸い星を指差した。
「あの星の、ちょうど反対側同士にふたりを落っことそうと思うのよ」
民男はまた少し泣きたくなったが、どこに飛ばされたって、どんな状況だって、民子のことは一日で見つけ出してやると思った。地球はメルヘン星より大きく見えるけど、物理的な距離は問題ではなかった。
「悪いね。メルヘン星に帰してやる気にはなれなくてさ。ま、あの星で早く再会して、ふたりうまくやれることを祈るよ」
彦星は一年前に見せた悲しげな笑顔で、民子に向けてそう言った。
そこからの記憶はないらしい。気づいたら民男はペルーに、民子ちゃんはネパールに落っこちていて、それから4ヶ月で再会を果たした。
再開を果たしたのは日本の中部国際空港だった。再会に泣いて喜びながら、東京はここからどれぐらいですかと僕に尋ねてきたのをきっかけに、僕は民男と民子ちゃんと知り合った。
初めは、泣きながら東京までの距離を尋ねてくるカップルに対して少し警戒心があったんだけど、国籍不明の顔立ちと純朴そうな雰囲気に悪意は感じなかった。
東京の位置を尋ねたのは、単にふたりの知っている日本の地名が東京しかなかったからで、こだわりはなかったみたいだ。ふたりは僕と知り合ったのをきっかけに僕と同じ岐阜の大学に通って、仲良くふたりで暮らしながら月日を過ごした。
以前のような縁側もないし『冥王星でDON!』も放送していなかったけど、ふたりなりに頑張って日本の生活になじもうとして、それはなかなかうまくいっていた。ここはなかなか楽しいところだねと言ってくれもした。そして、僕は特に民男と親しくして、いろいろな話を聞いたんだ。そして、それを周りに言いふらした。
そうこうしているうちに、民男が亡くなった。
今はまた新たなカップルがメルヘン星に住みついているのかもしれないね。だとしたら、メルヘン星の存在は隠しておいたほうがいいんだろう。メルヘン星は宇宙一の恋人の楽園としてひっそり存在しつづけたままでいい、みんなもそう思わないかい?
だから、やっぱりこの話は他の誰にも言わないでほしい。民男と同じように、僕はそう言いたいね。
民男は3年前の7月6日13時42分に亡くなった。その日は燃えるような夕焼けだった。
いいかい、諸君。僕たちの仕事って、そういうことだと思うんだよ。
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