月夜の留守番電話

外国旅行記と小説。

この胸を、愛を射よ

「歳をとったキューピッドはキューピッドなのか。多くの哲学者たちが挑んでは、その度に議論が紛糾してきた難問です。今回、FGN放送局では、数名のキューピッドのみなさんにお越しいただき、実際にこの問題についての所見をうかがうことに成功しました。どうぞ、番組を最後までご覧いただきながら、#fnncupidにてあなたのご意見をリアルタイ・・・」
彼はタバコを吸うためにベランダへ出た。胸ポケットからキャスターの8mmを取り出して火を点ける。そして、キューピッドねぇ、と考えながら煙を吐き出す。アパートの2階から見下ろす景色は、大して良いものではない。それでも見下ろすことに意味がある、と彼は思っている。

キューピッドがいるとしたら、俺のキューピッドはどんなヘマをやらかしたんだか。

しかし、実際にいるのだ。ベランダからテレビのある六畳間に戻ってきた彼は、すりガラス越しに、加工された声で議論を交わす5名のキューピッドを見つめる。正面からはわからないが、後ろから映された彼らの外見を見るかぎり、たしかに彼らは本物のキューピッドのようだ。彼には本物と偽者のラインなどわからないが、偽者にしては彼らはあまりにキューピッドすぎる。今映っている彼らはやはり、本物のキューピッドでなければならない。

本物のキューピッドは言う。年をとってもキューピッドであることに変わりはない。むしろ、鍛錬と経験をつんだ弓矢の技術によって、若者よりもよっぽどキューピッドらしい仕事ぶりを発揮できる、云々かんぬん。
別の本物のキューピッドは、右手の人差し指をあげて反対意見を表明する。老いぼれた姿のキューピッドなど、見るに堪えないし、そう呼びたくもない。ベテランの経験は認めるが、それならそれ相応の別の呼び名があれば良いではないか、云々かんぬん。

彼は、座卓の上に置き去りにされたいつかの指輪を見つめてからテレビを消し、タバコを買いにコンビニへ出かけた。